最高に最悪な人生

最高に最悪な人生

(小ネタそのに)

「お前、私が危害を加えるとは微塵も考えていないのか?」
 男の唐突な言葉に、青年はきょとんとした。だが何か思案するわけでもなく、すぐに笑顔を浮かべられる。
「エメトセルクがそんなことをするわけがないじゃないか」
 その口調はどこか古い友人に似ていて、男は吐き捨てるように返した。眉間に皺が寄ってしまうのを抑える気はない。
「私とお前は、元はと言えば敵対者だぞ」
 ただの絶対的悪でないことはあの旅路で知ったはずだ。今の青年がどれほど意識的に思い出せるか知らないが、断片的には残っているだろう。
 ひたすらに純粋な悪でなかったとして、しかし結局のところかつての男と青年は対立した。対立せざるを得ない立場と想いがあった。理解はしても合意は出来なかったのだ。元とはいえ敵対者であり、敗れた男は己の想いを託した。そうして終わった関係だったのである。
 能天気な表情を浮かべていた青年は、ふ、と目を細めた。男ではないどこか、記憶の彼方に向けられた瞳は暈けている。
「敵対したし、だからこの人生では仲良くしたい、なんて綺麗なままごとみたいなこと押し付けたい訳じゃないけど、孤独なままよりマシだろう」
 青年の瞳は男を見ていない。だからきっと、男の反応になどまったく気付いていないだろう。過去に意識を向ければ向けるほど、周りが見えなくなることを男は知っている。ああ、気付かれなくて良かった。
 お前が孤独を語るなと、どこかボタンをかけ違えたまま正せない青年には言えない。少なくとも男は己の記憶を受け入れて生きてきたし、今生の「己」と「ハーデス」に垣根はない認識でいる。前世の己は己なのだ。しかしもう舞台を降りた役者であり、そんな役者の余生のような感覚で生きていた。
 しかし話を聞いている限り、青年の自己認識は酷く曖昧だ。
 より正確に表すならば、この世界に生まれた「青年」という善良かつ一般的な感性を持つ者と、かつての「たくさんの英雄たち」が、一人の人間の意識に混在している。二転三転する一つの事象に対しての感想や、己の種族的特徴など、青年は英雄と呼ばれたあらゆる存在の記憶を断片的に所持しているのだ。
 男のように「己」と「ハーデス」の一対一ではなく、青年の場合は「青年」と「英雄たち」という一対多の意識だ。青年の意識の混濁も致し方ないものだろう。
「でも別にお前が本気で嫌ならいつでもやめるつもりではあるんだ。むしろ悠々自適な自分の城を堂々と侵略したうえ占領してるオレに何か言える権利なんかないし。だから……でもぼくは、その……気にせずに喋っても適当に流してくれる存在は貴重だし、できれば繋がりをまるごと切られるのは嫌だなあ」
 混ざり始めたな、と判断した男は息を吐いた。男の記憶にある英雄は青年より少し年を重ねた姿で、青年の話し方で、青年の振る舞い方をしている英雄だった。しかしどこかではこんな風に別の英雄たちもいたのだろう。この魔力も魔法もない、あの世界とは何も関係を見いだせない世界も存在するのだから。
「ああ、いや、そういう言い方も良くないのだろうな。それではまるであなたを息抜きのための道具のように考えているみたいだ。あなたは間違いなく君という生き物で、……いや、おれとは違うものだって君に言われるのは予想がつくんだけど、」
「もはや今更同じだろう」
 暈けた瞳が男を見る。声が届く程度には戻ってきているようだ。男は呆れた顔を隠す気もなく、更に言葉を続けた。
「お前も、当然私も、記憶こそあるがこの世界ではただの人間だ。この世界における、一般的な人間のそれだ。異常なのは記憶や身に染み付いた技術だけであって、この身体は普通の人間でしかない」
 この世界に新たな命として生まれてしまった以上、そして別の世界や記憶の世界に干渉する力を持たない以上、男と青年はこの世界の生命なのだ。矮小だと吐き捨てた命たちと似たような短命で、愚かで、醜い命であることに変わりなかった。この世界の人間と、今の男と青年の命には、何の違いもないのだ。
 特異な記憶がある。だからなんだというのだ。
 飛び抜けた技術がある。それをただの社会人の夕飯くらいにしか発揮していないくせに何を言うのだ。
 矮小だ。男は今の己をそう判じている。
 そして青年も、今となっては同じ命なのだという認識でいる。
「そもそも、だ。私はお前に敗れた。その時点で私が世界の統合を推し進めることは不可能だ。そして敗者である私が、他でもない私を打ち破ったお前を、そこまで下に見ているとでも? それこそ己の価値を下げる行為だろう」
 過ぎる謙遜は卑下だ。己の行いを讃え、能力を認める相手の言い分を否定することは、相手の鑑識眼を否定しているのと同じだ。
 青年は男を上回った。肉体の枷を外し、亡くした者たちの想いを背負って全力でぶつかってなお、男は青年に勝つことができなかった。
 通常、こんなことを言えば大抵の人間ならばむしろ驕り、こちらを見下してくるだろう。それは酷く不愉快だ。敗者は敗者だが、敗者のことを認めることのできない勝者を男は認めない。
 しかし青年がそんな性質でないと、男は少々不服ではあるものの、間違いなく断言できる。
 それほどまでに青年は傍に居る。あの旅路で、この日々で、青年は相変わらず馬鹿みたいに善良で、お人好しで、他人のために自らを削ることに躊躇うどころか削れる身を省みもしない性格だ。
「お前はもっと自分を誇れよ、でないと負けた私が報われん」
 顎を上げつつ鼻を鳴らし、男は青年を見据えた。いつの間にかその瞳は正気を取り戻し、少しだけ揺れている。困惑というより動揺で、もっと言うなら照れを隠しているようだった。見つめ続けている男に耐え切れなくなってきたのだろう、絡んでいた視線は外され、うろうろと辺りを泳ぎ始める。
 握られた拳。薄っすらと開いていた唇はきゅ、と噛み締められ、眉尻は下がっていた。こうして見るとまるで子犬か何かだ。
「……あ、あの、エメトセルク」
「なんだ?」
 彷徨っていた視線が男へと戻ってくる。は、と浅い息を吐き出した唇で、躊躇いがちに青年は言った。
「わ……分かった、から、その……ええと……」
「何なんだ、はっきり言え」
 ふい、と顔を背けられる。
「気をつけるし、ちゃんと、覚えておく、から……そういうことを言うのは、せめてたまににしてほしいな……」
「ふむ、別に無駄に繰り返すつもりもないが、お前のペースを崩すには非常に有効なようだ。今後も適度に活用していくことにしよう」
「貴方はもっとそういうこと言うのに恥じらいを持つタイプだと思ってたんだけど?!」
「必要と有らば言葉は惜しまん。なにより事実だ、何を躊躇う必要がある」
「や、ほんと、俺の心臓が持たないから、やめてください……」
「元英雄様のくせに褒められ慣れていないとは、心底不思議なものだな」
「貴方に言われるなんて思ってなかったから、本当に……それは、だめだ……」
 赤くなった肌と、乱れている呼吸と、なによりも震えを隠しきれていない青年を眺め、男は人知れず笑みを浮かべていた。
 アシエン・エメトセルクとしても、ハーデスとしても、まあおそらくかつての己であれば言わなかっただろうな、と思いこそすれ、口にすることはないだろう。おそらくは、墓にまで持っていくことになる秘密だ。

 


2019.8.15