雪に閉ざされたクルザスの朝は、太陽が覗いている日は雪が白く輝いて眩しいほどだが、そうでない日ならどこか薄暗さを感じさせる。
今日も当然のように暗く吹雪く窓の外を眺めながら、珍しく朝食の席に来なかった彼のことを思い描いた。
匿っている客人は三人。そのうちの二人はしっかりと食事の席に姿を現すし、残りの一人は精神的なダメージが大きいためかまちまちなものの今日はきちんと食べに来ていた。
そう、普段なら食べに来る彼が来ないという珍しいパターンなのだ。
何かあったのだろうか。
特に顕著なのが一人なだけで、客人は皆揃って様々な面で大きな損害を被ったからこそ、この雪に閉ざされたクルザスへとやってきた。不調があるのは当然で、それは毎日誰かの手伝いであちこちに走り回る彼とて決して例外ではないのだ。
だからといってオルシュファンが力になれるかといえば、必ずしもそうではない。全てを詳らかに聞き出すことが全て良いわけでもないからだ。
彼がオルシュファンに頼ってきたり、あまりにも見ていられない状況になったりしない限りは、ただ彼とその仲間の平穏を守り続けるキャンプの主でいる方がずっと良い。
朝食を済ませた後、如何なる緊急事態にも対応できるように鎧を着るため自室に向かおうとすれば、部下たちに気遣うような視線を注がれていることに気付いた。
「オルシュファン様」
「どうした、何か問題でもあったか?」
「いえ、そうではなく」
部下同士が目配せしたかと思えば、うん、と互いに頷きあう。
「冒険者殿のことが気になるのでしょう? 今日の吹雪は特に強いですし、内務もあらかた片付いておりますし、様子を見てきてはどうでしょうか。我々が伺いを立てるより貴方が行った方が彼自身にも良いでしょうから」
「……そうだろうか?」
「ええ。まだ時間に余裕もありますからね」
確かに本来の始業時間には余裕がある。とはいえこのクルザスで何か問題が起これば出動しなければならないため、始業時間といっても表向きであり、実際はそれ以前から司令部に詰めているのが常だ。
今日くらいは、ということだろうか。そっと食事を終えた二人の方に視線を投げれば、彼らは揃ってこくりと頷いた。彼らもそれで構わないらしい。
部下からの勧めと客人たちの後押しに思案し、オルシュファンはそれを受け入れた。ドラゴン族との争いに終わりが見えない以上、このキャンプ・ドラゴンヘッドが本当の意味で安息を覚えることはない。オルシュファンが司令部に常に詰めていれば、その補佐をしてくれる部下たちも息を抜く暇がないだろう。
ならばと進路を変更して、オルシュファンは冒険者が使っている部屋へ足を向けた。
いくら友と呼ばれることを受け入れてくれているとしても、オルシュファンが彼の心に踏み込める範囲には限度がある。友だからといって全てを受け入れてくれるというのは傲慢だ。分かっているからこそ、オルシュファンは彼らをこのキャンプに「迎え入れる」という形で守護している。
彼の心を知りたい、と考えていることは事実だ。蛮神狩りを幾度となくこなし、エオルゼアの英雄として広く知られ、方々から頼られる彼の心境は、一介の危険地帯の領主に過ぎないオルシュファンには想像し得ない。
だからこそ――受け入れこそすれ、こちらから踏み込むことに躊躇いを覚えている。
しかし、だからといって扉の前で百面相を続けていても仕方ない。ふ、と軽く息を吐いてノックした。
「――起きているか?」
部屋の中から物音は聞こえない。これはもしや朝早くから、この吹雪にも関わらず外出しているのか。あるいは未だに眠りの海を彷徨っているだけなのか。
返事がないことに暫し逡巡し、そっとドアノブに手をかけた。
すんなりと全く引っ掛かることなく開いた扉の向こう、確かに彼はそこにいた。
窓から差し込む光だけのほの明るい部屋の中で、赤く燃え盛る炎を纏った、異形のものをぼんやりと眺めながら。
「――あ、」
冒険者が来訪者に気付くと同時、片手に持っていた愛用の魔導書が滑り落ちる。そのままごとんと重い音を響かせてそれが閉じられたと同時に、炎の異形は不満げな声を上げながら姿を消した。
「……朝食の時間を過ぎても来ないものだから、様子を見に来たのだが」
「あっ、え、ごめん、ぼんやりしてて気付いてなかった、かも」
慌てて魔導書を拾って腰につけようとした彼を制止し、オルシュファンはドアを閉める。先ほどまでの憔悴はどこへやら、きょとんとして魔導書を両手で掴んだままの冒険者に、オルシュファンは先ほどの炎を思い描いた。
彼が戦っている姿は何度か見たことがあるが、あの炎の異形は今まで一度として見たことがなかった。部下たちの会話や報告からも、彼が謎の異形を連れている話は耳にしたことが無い。
だが驚いて魔導書を落とした拍子に姿を消した以上、異形はおそらく――召喚獣の一種なのだろう。
初めて会った時から巴術士であった彼が、今更魔導書を閉じたからといって召喚獣の制御が出来なくなるような初心者でないことくらいは分かる。ならば制御が利かないほどに動揺したか、あえて帰還させたか、の二択だ。
「――先ほどの炎のような生物は」
「……」
「初めて目にしたが、お前の召喚獣なのか?」
恐れるように視線を彷徨わせた彼は、オルシュファンと目を合わせてから首肯した。慣れた動作で魔導書を開き、さらさらとペンを走らせる。
ごう、と音を立てて顕現したのは、先ほど見たままの炎の異形だった。
明かりのついていない部屋では、その異形の炎がひどく明るく見える。
「おれは一般的な巴術士じゃなくて、召喚士っていう違うジョブなんだ。そしてこれはおれの『炎』。エギという、この身に受けた蛮神のエーテルを元にして作り上げた召喚獣が、今のおれが使役しているもの」
「蛮神の、エーテル……」
「そう。だからおれが戦ったことのある蛮神が元になってる。これはイフリート・エギだよ。普通の巴術士が使役するカーバンクル二種類と違ってファイタータイプだから、人目があるところでは呼び出さないようにしてるんだ」
付け加えるように彼がごそごそと取り出したソウルクリスタルが、召喚士の証らしい。
確かこの冒険者が初めて討伐した蛮神が、件のイフリートだったはずだ。それからタイタン、ガルーダ、善王モグル・モグⅩⅡ世、リヴァイアサン、ラムウ、シヴァ――こうして数えてみると、彼の話を聞きたがる者たちによって引き出された情報が多いとはいえ、あまりにも蛮神と戦いすぎている。
それだけの功績があったからこそ、彼は光の戦士だ英雄だと担ぎ上げられ、方々からその力を求められ――。
別の方向へと突き進もうとする思考を停止させ、オルシュファンは「だが」とイフリート・エギから視線を外して冒険者を見た。今の今までオルシュファンは彼がカーバンクル以外を連れているところを見たことがなかった。
いつから召喚士になっていたのか知らないが、彼が連れていたのは巴術士が使役するカーバンクルの二種類ばかりだったように思うのだ。
「お前が連れていた召喚獣は、いつだってカーバンクルだったと記憶している。あれもまた、このイフリートと同じように『エギ』なのか?」
「あれはガルーダとタイタンだよ。本当は姿も元になった蛮神に似てるんだけど、見たことない召喚獣だと皆驚くだろ? だから姿だけ、ガルーダはエメラルドにして、タイタンはトパーズにしてるんだ。どっちもソーサラータイプとタンクタイプで、戦い方が似てるから誤魔化せるかなって思って」
「なるほど」
一度イフリート・エギを帰還させた彼は、眩く輝くゴーレムのような召喚獣を呼び出した。岩神タイタンを元にしたエギで、一人で敵と戦う時によく連れているらしい。
その次に呼び出されたのがガルーダ・エギだ。風のエーテルを身に纏った翡翠の召喚獣は彼の周りをくるんと回り、それからオルシュファンを見た。どれも元になった蛮神の面影を強く残しており、カーバンクルとは似ても似つかない。異形と表現されてもおかしくないだろう。
目を合わせたままでいれば、気ままな風の異形は羽ばたいてオルシュファンと距離を詰めた。視界の端、驚いたように腰を上げかける冒険者を手で制し、オルシュファンはこちらを見定めるように目を細めるエギを見つめる。
特に凶暴で傍若無人な蛮神であるガルーダを基にしているからか、このエギも相当にその影響を受けているのかもしれない。術式で編まれた魔法生物であるカーバンクルと違って、エギはどうにも元のエーテルによる個性が強く、自我もあるように思える。
「お、オルシュファン?」
彼女は彼がオルシュファンの元に訪れたきっかけだった。
この雪に閉ざされた地にあっても、相手が冒険者だろうとイイ人材であれば忌憚なく受け入れるのがフォルタン家の、オルシュファンの意向だ。それが他家どころか国全体から見ても珍しいことは理解しているが。
不安げにこちらを窺っている彼のような存在を、どうして邪険になど扱えようか。
異端審問官に、他家の騎士たちに冷たく当たられようとも、構わず自分の信じる道を進む彼を、あの日友のために戦ってくれた背中を思い出す。
「……」
ふっと不敵に笑んだ彼女は、何事もなかったかのようにふわりと冒険者に傍に戻った。自らの召喚獣とオルシュファンとに忙しなく視線を投げ、彼は気が抜けたように息を吐き出す。
「心臓に悪い……」
「お前の召喚獣だ、悪いことにはならないだろう」
「確かにおれのだけど、もう……」
ガルーダ・エギも帰還させた冒険者は魔導書を閉じ、今度こそ立ち上がった。ぐっと両腕を上げて身体を伸ばし、脱力する。
自然体そのものの彼の姿に、先ほどまでの陰りはもうなかった。
「何か考え込んでいたのではないのか?」
「イフリートに被せる姿が思い付かなくてぼんやりしてただけだよ。いつの間にか朝食の時間が過ぎてたことは申し訳ないけど」
「そうだな。皆、お前のことを気にかけていたから、元気な姿を見せてやると良い」
「うん、そうする」
魔導書を腰につけ、手袋をポケットに押し込んだ冒険者は、準備を整える間も室内で待っていたオルシュファンに微笑む。
陰りはない。しかし澄んだ蒼の広がる快晴の空とまでは言いがたい表情に感じるのは、どうしても拭いきれない疲労感に似た何かだ。
希望の灯火は今という未来へ繋がれた。その過程において喪われたものは多く、未だその灯火が消えないのは単に彼の強さに大きく依存しているといえる。
彼は、彼らは強い。挫折を知ってなお、犠牲という喪失を経てなお立ち上がれる強さを持つ。その純粋さ、その高潔さは尊いものであり、どうにも得難い美しさを誇るものだ。
――だからこそその清らかさを、己が道を信じて歩める強さを、そして道を切り開くための力を持つ彼を潰えさせるなどするものか。
腰にある魔導書の表紙を撫で、幾度となく蛮神狩りを乗り越えた召喚士はぽつりと零す。
「召喚士になったことに後悔はないけど、今はあんまり目立たない方が良いし、皆を不安にさせるようなことも避けたかったから隠してたんだ……でもおれ、やっぱりそういうの得意じゃないな」
先にドアを開けて彼を待てば、部屋から足を踏み出した冒険者は口にした。
「ありがとう、オルシュファン」
「……何の話だろうな?」
それがドアを開けて待っていたことに対する礼ではないと理解している。
冒険者が使っている部屋から出た。つまりこの廊下は私的な空間ではなく公的な空間だ。だからオルシュファンは、先ほど彼から聞いたことを匂わせるつもりがない。
光に満ちた英雄とて、いつもいつまでも英雄のままではないのだ。その光の強さに比例して、影もまた濃くなる。
数々の蛮神を打ち倒し、かの帝国を退けた男が――仲間ともども政変に巻き込まれ、謂れなき罪を被せられながら、かような極寒の土地へ逃げ延びたように。
「あなたはおれに優しすぎるから。何度言っても言い足りないんだよ」
それでも、浮かべる表情が笑顔であれば良いと願うことばかりは、どうか許してほしいと思う。
2019.10.23
