アンタはまだまだ何も知らない
最早慣れてきた鍾離の洞天の空を見上げ、ふと思ったことをそのまま口に出した。何度か出入りしたことのある旅人の洞天も、時間による昼夜の変化こそあれ、機嫌を損ねているところを見たことはない。常に晴れ渡る空は爽快だったが、見慣れ過ぎるとやはり作り物らしく感じてしまうのだ。
「洞天って天気変えられないの?」
「出来るぞ」
「出来るんだ……」
昼食もそこそこに、「休んでいくか」と手を引いて自身の洞天に連れてきた鍾離の淀みない返答には疑う余地もなかった。この男が出来ると言えば出来るのだろう。取引の場でのハッタリならまだしも、こんな下らないことで出来ないことを出来るとは言わない男だ。
璃月様式の屋敷に入る前で足を止め、鍾離もタルタリヤに倣うように空を見上げる。浮島を繋ぐ光の橋が彼方に見える、淡い光を受け止め輝く雲がちらほらと浮かぶ絶景だ。この浮島は屋敷のほかは木々が多いが、向こうの島には緋雲の丘を連想させる赤色が見えた。
あちらの島は緋雲の丘から不卜廬と玉京台に続く池と似たような作りだが、周りの回廊が赤く塗られているのだ。その回廊に囲まれた内側にある池には蓮が浮かび、魚が泳ぐ。何故璃月港と回廊の色を変えたのかと聞いたことがあるが、緋雲の丘の再現は規模が大きいから要素を組み合わせた、のだったか。
「旅人の洞天は厳密には彼女が作ったものだから、そこまでの調整は効かない可能性もあるが、ここは俺が作った洞天だ。その程度の調整なら難しくない」
「そろそろモラの持ち歩きと凡人の価値観を持つことと海産物の克服以外で、先生が出来ないことを開拓してみたくなってきたな」
「今も結構あるだろう……」
むしろそれがかなり根強い問題であることを思えば確かに充分なのかもしれないが。魔神だし仙祖だし、凡人の尺度で考える方が馬鹿らしいのは間違いない。胡乱げな目で見てくる鍾離の視線に無視を決め込めば、鍾離は一つ息を吐いた後ぽつりと「天気か」と呟いた。
「屋根の下で待っていてくれ」
「うん? 分かった」
屋敷の中に入っていった鍾離の背中を見送り、タルタリヤはぼんやりと空を見上げる。何か準備があるからなのだろうと思っていたが、快晴の空はみるみるうちに表情を変え、何処かから発生したどんよりとした雲に覆われていった。
数十分はかかるような天気の変化がたった数分に凝縮されたような光景だ。ドラゴンスパインでいきなり天気が変わっていくような、酷く見覚えのある、けれど新鮮な雲である。空が暗くなった頃、はらり、と何かが舞い降りた。
言われた通りに入っていた屋根の下から一歩踏み出して、手袋をしたままの掌を空へと向ける。暗色の手袋の上に落ちた結晶は白かったが、すぐさま溶けて水へ変わった。
「――雪……」
それに気付くと同時、いつの間にやら空気もきりりと冷え込んだそれに変わっていたことを肌で感じ取った。少なくとも璃月では感じたことのない寒さだ。先ほど連想した雪山のようであり、同時にほんの少しだけ、故郷の空気に似ている。
雪は冬国の象徴だ。長く寒い冬に雪と氷はつきものである。海さえも凍り、船は出入りできなくなるのだ。
次々に降ってくる雪を眺めていれば、後ろから玄関の開閉音が聞こえた。
「屋根の下に居ろと言ったんだが」
「ああ――ごめん、つい」
戻って来た鍾離の手には上着と傘が一つずつある。まず傘を差してタルタリヤの隣に並んだかと思えば、そっとタルタリヤの肩を払ってそこに上着をかけてきた。鍾離の格好は普段通りである。生き物としての規格が違うから気温の変化はどうということもないのかもしれないが、一方的に気を遣われるのはなんとなく落ち着かない。
上着に袖を通せば、鍾離に満足げに微笑まれた。ふわりと香る木のような匂いは、焚き染められた彼の香か。
「傘まで一本なんだ。どっちか濡れない?」
「そこまで厳密な再現をしているわけではないし、二人でそれぞれ傘を差せば距離が開くだろう」
先ほど雪を溶かした手袋を見てみれば、最早水の跡すら見えなくなっている。この気温では早々乾くものではないのは身に染みて理解しているから、雪は雪でも何かしら特殊なものらしい。
声も聞こえにくくなる、という男の考えには効率しかなさそうだった。しかも傘はタルタリヤの方に傾けられており、いくら傘が大きめだろうと鍾離の肩は犠牲になるだろう。しかし鍾離は微塵も気にした様子がない。は、と吐き出した息も白かった。
同時に吸い込んだ空気は冷えていて、その中に慣れ親しんだ雪の匂いと、鍾離の上着から漂う香が入り混じる。璃月の象徴のような男の匂いに、故郷に近い匂いが混じるのは不思議な気分だ。もう一度吐き出した息は震えてはいなかっただろうか。
「あちらの方がより雪の白が映えるだろう」
「うん……」
「どうかしたか」
タルタリヤを見る鍾離の顔には疑問符が浮かんでいる。意識してしまったのはこちらだけだったようだ。なんでもないよと首を横に振って、鍾離が示した方へと歩き出した。
緋雲の丘のような赤色。ともすれば稲妻の神社の丹塗りにも似ていて、そこに雪の白が積もっている。降り出したのはつい先ほどだというのに立派に積もっているのは、隣の男がわざわざ調整していたためだろう。器用なことをするものだ。
屋根付きの回廊に入り、鍾離は傘を閉じた。それを欄干に立てかける。
回廊の内側にある池は璃月にあるような石の橋がない代わりに、点々と足場になる平たい石が水面から顔を出して白くなっていた。浮かぶ蓮の葉の陰には見え隠れするように魚が泳いでいる。雪こそ降っているものの、鍾離のことだから池まで凍ることはないだろう。
池の周りをぐうるりと囲む回廊だ、中に入っても向こう側の赤い回廊に降り積もる雪がよく見えた。
「こっちは積もってるんだね」
「場所ごとに雪の量を調整したからな」
「随分と手慣れてない?」
「この程度ならば造作もない」
「仙術ってやつはよく分からないな……」
「お前だって氷神から権能を授かっているだろう」
それとこれとはかなり違う。なにせタルタリヤが女皇から賜った権能はほんの一部だ。鍾離は力を分け与えられたタルタリヤ側ではなく、分け与えてきた女皇側である。タルタリヤと感覚が異なるのは当然だった。
欄干に肘を突いて寄りかかると、鍾離は自然とその横に並んだ。見上げれば、石珀の瞳と視線が絡み合う。言葉を紡ぐより先に唇が重なった。冬らしい気温に引き摺られた唇は冷たく、しかし底にほのかに体温が存在していることが分かる。
鍾離の片手はタルタリヤと同じく欄干に、もう片手はタルタリヤの腰に触れていた。
「故郷が恋しいか?」
至近距離に顔を寄せたまま、鍾離がわざとらしく問いかける。
「ふ、馬鹿にしてる?」
「いいや」
真摯な眼差しに嘘は見えない。タルタリヤと違って意図も感情も綺麗に隠しきれる男だが、鍾離にこんな話題で嘲笑するような趣味がないのは知っている。だからその言葉を疑う理由はない。そう分かっているからこそ、静かに瞼を伏せた。冷気と雪の匂い。よく馴染んだもの。
目を閉じると璃月の明るい赤と建築様式が意識の外になるからか、より一層故郷を思い起こさせる。
だからこそ――嫌なのだ。心の内の、柔い場所を踏み荒らすでもなく、面白がるでもなく、ただ守られているような気さえする。大切にされている。己という一人の男が、何かを大切に想う心ごと。
欄干に寄りかかっていた身体を起こして鍾離に向き直った。すぐ傍にある首筋に鼻先を擦りつける。そのまま身体を委ねた。鍛えた身体は軽くないだろうに、受け止める鍾離はほんの少しも揺らがない。
「別に、戻ろうと思えば戻れるんだ。任務をある程度こなしてるんだし、長期は無理でもあの雪を踏みしめるくらいは可能だろう」
休暇を取れないわけではない。なにせ女皇自身の命以外にも、あちこちへ飛ばしたがる他の執行官が押し付けてくる仕事までこなしているのだ。その方法にあれこれと文句をつけられることもあるが、それが嫌ならばそもそも公子に振るなという話である。
言ってしまえば他の執行官たちだって、昔から変わらないタルタリヤの家族への愛をいい加減理解しているから、たまには向こうから数日の休暇を寄こしてくることだってあった。ついでに小さな仕事をいくつか押し付けられることもあるが、それはそれ。しっかりとタルタリヤ好みの方法でこなして、きっちり休暇を堪能してから報告を上げている。
それに彼らは自分たちの居座るパレス以外であれば、国内に居てもそれほど小言を言ってこない。だから故郷の海屑町に数日滞在して家族と過ごす程度なら可能である。
「俺だって執行官だし、周りが何を言おうが少しくらいは押し通せるよ。……執行官だからこそ、自分の身の振り方には多少なりとも気を遣わなきゃいけないわけだけど、それだって俺にとっては些細なことだ」
自分のせいで家族が危険に晒されるかもしれない、なんてことはもう何年も前に悩み終わった話だった。だからもうタルタリヤは家族との過ごし方で悩まない。
もう慣れた話なのだ。あの暗闇の国に堕ち戦いに目覚めた十四の時から、執行官に至るまでにきちんと割り切ってある。目の前の魔神にとってはほんの瞬きのような時だろうが、人間生まれ人間育ちにとっての若者の数年を費やして出した答えなのだから。
ちらりと横へ視線を流す。赤い建物に白い雪。美しい対比である。少なくともスネージナヤにこんなに派手な赤色はなかった。ここはスネージナヤではなく、目の前の男が愛する璃月を象っているのだ。
「恋しくないかどうかについては、それほどでもないんだ。家族だって元気にやってるって分かってるんだし」
手紙のやり取りは当然ながら今でも続いているが、最近はトーニャからの手紙に拙い字で書かれたテウセルの手紙が同封されるようになった。だからタルタリヤはトーニャを含めた家族宛ての手紙と、テウセル用の手紙の二つを同封して送り返すようにしている。
しかもドラゴンスパインにしろ稲妻にしろ、璃月を基点として動いていたぶん、あちこちへ飛び回ってばかりだった頃よりも手紙と追いかけっこをしなくて済んでおり、やり取りはスムーズになっていた。家族との交流はこれ以上なく密な状況だ。
少し体を離して鍾離の顔を覗き込んだ。何をどのように見ている目なのか、タルタリヤには読み取れない眼差しをしている。
この男のことだから、憐れんでいるわけはない。揶揄っているという可能性もない。脳裏を先ほどの口付けが過ぎった。ならば残るとすれば、それは一体どんな感情だろう。
「先生はなんで雪を選んだの?」
だから問うことにした。璃月は温暖で、あまり雪とは縁がなかったはずだ。不凍港は商業を行うにおいてこれ以上ない立地である。
するとタルタリヤがしたことを真似るように、鍾離は頬を擦り寄せてきた。
「璃月港では見られないだろう光景を見てみたかった、という理由と」
「うん」
「公子殿に似合う天気はと考えて、おそらく雪だろうと思ったんだ」
「……俺と雪の組み合わせ、先生は見たことなかったろ」
「ああ、だからこそ見たかった」
璃月近郊で雪を見られるとしたらドラゴンスパインだが、タルタリヤは鍾離と連れ立ってあの雪山に登ったことがない。頬を唇で吸われたかと思えば、鍾離にしては珍しくリップ音を立てて離れていく。唇以外への口付けではあまり鳴らさないくせに、と目を合わせれば、石珀色はゆるりと細められた。鍾離の指が頬を撫でる。
黒い手袋の温度は低かった。ひやりとして心地よい。
「傘と上着を取ってくるまでの間に見事に雪を積もらせていたのには焦ったがな」
「別に故郷が恋しくて外に出たわけじゃないよ」
「風邪をひくだろう」
「そんなに軟弱に見える?」
「疲労していれば身体は弱るものだ。気を付けるに越したことはない」
開け放したままの上着の前をそっと留める手は過保護な親のようだ。洞天に誘われた際に「休んでいくか」とほとんど強引に引っ張りこまれたことといい、そんなにもタルタリヤの顔色は悪かっただろうか。
「疲労、ねえ」
「璃月から離れていたのだろう」
「……忙しかったのは事実だけど」
あちこちへ飛ばされることにも慣れている。が、残兵捜索の現状はほとんどが隠密しての出入国だ。慣れたことではあるものの、短期間に何度も繰り返していれば疲労は溜まる。
稲妻近海を包んでいた嵐は、稲妻の鎖国の解除と同時に終わりを告げた。おかげで璃月を始めとした他国との貿易は息を吹き返し始めている。よって侵入しやすくなったが、同時に他の船に目撃もされやすくなった。旅人と音楽好きの少女と共に乗り込んだ陰陽寮の時はまだ鎖国中で、嵐に紛れて秘密裏に上陸もしやすかったが、今はそれが無いぶんかなり出入りの隠蔽が面倒になっている。
スネージナヤ人ならまだしも、ファデュイという肩書きを背負って稲妻に踏み込むことはできない。タルタリヤは外交官の権限も持つ執行官ゆえ、説明責任を果たすために堂々と稲妻に滞在していた時期もあったが、あれは例外中の例外だ。
しかし残兵の行方がまだ見つからない以上、タルタリヤは稲妻も探さなければならないのだ。もう稲妻から出ている可能性が高いとしても、璃月を基点として近隣国を探すよう命令が下っている。神の心は目的のためには必須である以上、タルタリヤにその任務を無視するという選択肢はない。
璃月を基点に、近隣国。範囲が限定されているぶん、マシではあるのだ。過去にはもっと酷い状況なんて何度もあった。
溜め息を吐いた。鍾離の背中に腕を回す。
「なんでバレるかな……」
部下たちに何か言われた記憶もないし、今日仕事のためにと訪れた往生堂で会話した職員たちにも何も言われなかった。その後鍾離と共に万民堂で昼食を取った際も、誰にでも元気に声をかけるあの溌剌とした看板娘から指摘を受けなかったのに。
頬から離れた鍾離の手がタルタリヤの背を撫でる。宥められているような気分だ。
「雪なんて慣れてるんだよ、本当に。傘なんて役に立つのはこのくらいの降り具合までだ。故郷の雪の前じゃ意味がない」
「だが防寒具らしい防寒具もない状態より良いだろう」
「雪国育ちを舐めないでほしいな。先生、あの寒さを知らないだろ。こんなの生ぬるいよ。璃月で体調を崩すならむしろ夏だ……」
「ふ、ならば今からでも夏の気候にするか」
「そんなに俺を苦しめたいわけ?」
「冗談だ」
背中に回された鍾離の腕に力が籠る。抱き締められた、と思うと同時、形の良い唇が耳に寄せられた。かかった吐息に肩が跳ねる。
とろりとした柔らかな低音が吹き込まれた。
「俺としては、崩してくれても構わないが」
「……そういう嗜好だったっけ」
「少なくとも回復までの間は璃月に居るだろう」
「っは、」
引き留めるためにと来たか。どうせ夏には変えないくせに、可愛げのあることを言うものだ。思わず飛び出た小さな笑いを咎めるように耳を甘噛みされた。んう、と声を漏らせば、今度は耳の外殻を舐められる。
ぴちゃぴちゃと音を立てて弄られるそれは下半身によろしくない。甘く痺れる腰を、背中に居たはずの鍾離の手が撫で上げた。
「っ、ぁ、ねえ、外だよ」
「洞天だ」
「見た目は外だろ」
「他人の目はないぞ」
その手が閉じたはずの上着の前が外されていく。ひやりとした冷気が腹を撫で、かくんと膝から力が抜けた。耳に吹き込まれる吐息はいっそ毒だ。
洞天だし、他の誰かが立ち入る可能性などないことも分かっているが、心情的にそれらを無視はできなかった。性的嗜好に関して、タルタリヤはあまり特殊なものを持ち合わせていない。戦闘欲で大体を発散してきた人生だ、特殊な嗜好を得る機会すらなかった。
鍾離の背中に回していた腕でどんとその背を叩けば、そこでようやく不埒な手が止まる。足に力を込めつつ身体を離すと予想よりも静かな黄金色と目が合った。けれど奥底にぐらぐらとした熱が籠っている。
抱きたいのは本気らしい。まだ時間としては昼だが、互いにこの後の仕事がないことは把握済みだ。耽ったところで影響はないと分かっている。ここで鍾離を拒絶する理由はほとんどない。
――タルタリヤだって、応えたい気持ちはあるのだ。
璃月に留まり続けるわけにはいかない。任務は任務である。だから鍾離の優先度を今以上に上げるわけにはいかなかった。逆に言えばそれくらいには鍾離のことを大切に想っているし、優先したい気持ちがある。形の良い唇に自らの唇を寄せた。
タルタリヤは残念ながらあまり鍾離のことを大切にしてやれない。モラの肩代わりなら他の誰よりも出来る自信があるが、傍に居続けてやることも、きっと添い遂げることも難しい。穏やかな生活とて送らせてはやれないだろう。
そういう性質をお互いに分かっている。だからあまり明確に言葉にはしてこなかった。明らかにしてしまえば、それが結果的に嘘になってしまうことも出てくるかもしれない。だから余計なことは言わないで差し出してやることこそが、タルタリヤが鍾離に示せる誠意だったのだ。
「ベッドの上ならいいよ」
しかしそれを分かった上で、こんな甘えを見せてくるなら。あとね、と囁く。
「すぐにとは言わないけど、俺と雪の組み合わせが見たいなら――スネージナヤ、来たらいいだろ」
隣国とはいえモンドに足を伸ばしたのだ。そして稲妻文化にあれほどまでに興味を示していたのだし、他国の文化に興味がないというわけではないだろう。そしてこの自国をこよなく愛し居座り続けた元神のこと、近場のモンドと稲妻であんなにもはしゃいでいた以上、どうせ冬国には詳しくないに違いない。
だからこんな生ぬるい雪なのだ。スネージナヤの雪を知っていたら、もっと厳しく凍てつく冬になっている。
含ませた意図に気付かないほど鈍感ではない男は、小さく問いかけた。
「……いいのか」
「俺は任務での移動がほとんどだから勝手に動くよ。……だからアンタが動くかどうかは、俺には関係ない話だ」
任務の邪魔をしない限りは、という注釈はついて回るが、タルタリヤの移動を察知した鍾離が同じように移動していたところで、それはタルタリヤの知るところではない。誰かに咎められる謂われもないのだ。
鍾離が目を瞠る。虚を突かれような表情に、タルタリヤは笑った。
「相棒の洞天で開かれたイベントの時、追いかけてきたのは先生の方だろ」
「……そう、だな」
追うという選択肢を、今の鍾離は既に手にしている。
噛み締めるように呟いて微笑んだ男は、タルタリヤを軽々と抱き上げて歩き出した。いつの間にか降っていた雪は止み、雲は晴れている。立てかけた傘が置き去りにされていくのを横目に、回廊から出た途端眩しく感じる日差しに目を閉じた。
雪が降るほどの冷気はそのままだったことを言い訳にして、タルタリヤは運んでくれる鍾離に甘えるように抱き着く。鍾離の香りと、上着に染みついた香の匂い。鼻腔を満たすのはもうそればかりだった。
「一応だけど」
「どうかしたか」
「俺の体調を理由に途中で止めないでね」
「……止められるなら、あそこで手など出していない」
「あっはは。そ、なら安心した」
2022.5.8
