どう考えたって悪食

どう考えたって悪食

 突然だが、俺は今えっちな下着をつけている。
「……公子殿はそういった趣味を」
「持ってないし着てみた今も特に目覚めたって気分ではないよ」
 琉璃亭は個室だから会話にさほど気を遣わずに済む。給仕係も下がっている今、ここに居るのは鍾離とタルタリヤだけだ。タルタリヤがどんなに頭のネジが吹っ飛んだ発言をしようと、聞いているのは鍾離だけなのだから。
 食事も終わり、デザートの杏仁豆腐をつるりと流し込んで、酒ばかりを口にし始めて、時間としても良い頃合いだった。この後解散となるか、どちらかの部屋に行くか。そういう選択をお互いに気にしだすタイミングだと判断したから、今の今まで秘めていたことを持ち出した。
 えっちな下着。そういうものとは縁がなかったから、タルタリヤはまともにまじまじと見たのは今回が初めてだったし、身に着けるのも当然初めてだ。こんな薄いのか、と思いつつ上から執行官の制服を着てしまうと見た目では分からないし、完全に普段通りの意識に自然と切り替わってしまったから、別に特にえっちな気分にもならなかった。
 そんなわけでこんな突飛な発言しているものの、タルタリヤは至って通常運転である。だが何故こんな風に暴露したかというと、着てみたからには本来の用途でも使ってみないと着た意味がなかったからだった。なにせ自分が着た程度ではえっちな気分にはならなかったので。
「では何故いきなりそんなことをしてきたんだ」
「債権回収の仕事で、そういう類の好事家だったらしくてね」
 自宅に乗り込んだら、わんさか出てきたのだ。命を取る前にひれ伏してきたから延滞料として代価になりそうな物品を要求したのだが、その結果がこれである。好事家は泣きながら差し出してきたものの、タルタリヤは部下たちと思わず目を合わせてしまった。
 素直に受け取るには色々と邪念を抱かせすぎる物品だったが、確かに見てみた限りでは布も刺繍も一級品のもので、延滞料としては確かなものなのは間違いなく、ならばと様々な繊細な布たちを回収してきた。もちろん部下に運ばせたけれど。
「形から色からサイズから、よりどりみどりだったんだよ」
 そういった趣味を否定する気はないが、あそこまで集める前に借金は返した方が良かったのではないかと思う。ギャンブルと違って物が残るぶん、今回のようにギリギリ死を免れることが出来るから有用ではあるが、もう少しくらい物欲を抑えていたら延滞しなかっただろう。
 使うことを想定していたかどうかは定かではないが、だからこそタルタリヤのような鍛え上げた男でも身に着けられるサイズのものがあったとも言える。こういうサイズ売ってるんだ、と思わず呟いたタルタリヤにびくりと肩を跳ねさせた部下には悪いことをしたと思ったが。
 向かいの鍾離がものすごく微妙な顔をしている。嫌がっているというには呆れているように見えるし、けれど困惑しているようでもあった。まあこんなガチガチに筋肉を纏った、身長も大差ない男がえっちな下着を着ていると言ってきてもそういう反応になるだろう。たぶんタルタリヤが鍾離にそんなことを言われたら爆笑してしまうと思うので、大抵の反応は鍾離タイプかタルタリヤタイプに二分されるはずだ。
「そもそも延滞料の代価を私的に使っていいのか?」
「相応のモラは無言で置いてきたから充分だよ」
「職権乱用にも程があるな」
 どちらにせよこれをモラに戻す手間を思えばタルタリヤのモラで交換する方が早いだろう。用途が用途だから通すルートには困らないが、押収した物品として記録を付けられる前に持ってきたからまず問題にもならない。執行官へ異を唱えられる者なんて最初から居ないのだし。
 杯を置いた鍾離はタルタリヤの顔から首、まで見て、じ、と胸元に視線を注ぐ。執行官の制服を着ているため、このままでは下着は見えない。
「気になる?」
「話を聞く限り、俺を揶揄うための嘘ではなさそうだな」
「揶揄い目的ではないと言えば嘘になるけどね」
 あのお堅い鍾離だ、いかに人間が生み出す様々な文化を楽しんでいるとはいえ、えっちな下着の類にはそこまで関心を寄せてこなかっただろう。それこそ延滞料として押収した時のタルタリヤのように、その品の質の良さや技術の高さに目を向けこそすれ、性的な欲求を煽る意図をさほど汲んだ視点で見たことがあるとは考えにくい。
 だがそれは下着そのものを、あるいはそれを着た人間たちを見た時の場合だ。
 他でもないタルタリヤがそれを着て、鍾離の前に明け渡したら。
 あのお堅い――わりに、好き勝手にひとの身体を拓いては容赦なく食い尽くす男は、一体どんな反応をしてくれるのだろう。
「だが、良いのか?」
「何が?」
 曖昧に問いかけてくる鍾離に首を傾げれば、置いていた杯を持ち上げた鍾離は口元を杯で隠してタルタリヤに返した。
「普段あれだけ鳴いているのに、今日はもっと酷いことになるかもしれないぞ」
 瞳は弧を描いているくせに、向けたものを焼き焦がしそうな鋭さを孕んでいる。
 ぞくぞくと甘い痺れが背筋を駆け抜けていった。急に喉が渇いた気がして唾を飲み込む。汗がじわ、と滲む感覚は、たぶん普段より下着で覆われている面積が少し広いからだ。外見には影響がないくらいに薄いが、そうでないなら普段はない軽い締め付けのせいかもしれない。
 鍾離の口元はきっと笑みを描いていただろう。くっと杯を呷って下ろした時にはもう普段通りに引き結ばれていたから、本当はどうだったか分からないけれど。
「どうした、公子殿」
「いや……」
 それはつまり、タルタリヤが鏡で確認した時は滑稽にしか思えなかった格好でさえ、鍾離は興奮するのだと言っているのと同義だろう。
 見てもいないくせに、よくもまあそんなことが言えたものだ。滑稽なあまり失笑して、自分では興奮するどころか萎える一方だった。だから今の今まで、気付かれてしまうかもしれないなんてドキドキした気持ちも、言ってみたら煽られてくれるのではないかとわくわくするような期待すらなく、平然とした顔で食事をして酒を飲んでいたのに。
 向かいの鍾離は酒を飲み干した。食事もデザートも済んだ今、残っているのはもうタルタリヤの杯の中の酒くらいだ。椅子に座り、自分の両手を優雅に膝の上で組んでいる男は、獰猛にぎらつかせた瞳のままわざとらしく首を傾げる。
「先ほどとは表情が変わったな。良い兆候だ」
「……どれだけ萎える光景か、知らないからそういうことを言えるんだよ」
「ほう? だがお前は自分が身に着けているものが、性的な興奮を煽る目的で作られたものだと知って、自らの意思で身に着けたのだろう」
 揶揄う目的がほとんどだった。こんなもの、鍾離だって萎えるだろう。鏡でわざわざ確認してそう思ったから。これで興奮したら、あんたも物好きなんだなって笑ってやろう、と。
 あんた、こんな格好悪くてみっともない俺でも興奮しちゃうんだね、って。
 そうやって、笑うつもりだったのだ。笑えるのだと心の底から思っていた。
 ――ああ、聞きたくない。
 ぐるぐると回りだした自身の思考回路から意識を逸らすように杯に残った酒を呷った。くつくつと鍾離が喉で笑う。こん、と卓に置いた空の杯が小気味良く鳴いた。同時に鍾離が立ち上がって、卓を迂回し、タルタリヤの横にまでやってくる。思わず顔を背けた。
 顔を上げられない。傍に男の気配があるのにそちらを見られない。
 手袋をつけたままの手がするりと頬を撫でた。長い前髪をどかすように耳にかけられ、無意識に唇を噛む。咎めるように親指が唇を押した。ふ、と唇がほどけて吐息が零れた。
「俺のために、自分で性的な格好をしてきたのだろう?」
 卓に片手を突いて身を屈めた鍾離に瞳を覗き込まれる。溶かされそうな熱を帯びた金色が、陰の中で輝いていた。全身が震えあがる。口角の上がった唇は、さながら赤い三日月だ。
「制服、の、下だし」
「下だろうが着ていることに違いない。今更嘘と言うにも苦しいだろうな?」
 頬に触れていた手がわざとらしく首筋を辿り、赤いシャツの内側に指先を差し込んだ。そのまま肩の方に触れられたら確かに着ていることが鍾離にも伝わるだろう。肩が跳ねたのか、鍾離が更に笑みを深めた。落とされる囁きはざらついている。
 溶け残った砂糖が底でざりざりと自己主張しているようだ。体温が上がっている。頭の中が熱で満たされていく。それでももっと砂糖が足されて、溶けない塊が底に溜まっていく。
「お前が俺にどういう反応を期待していたのか知らないが」
 冷笑するか、失笑するか、最初から信じないか。
 一瞬でも挙動不審な様子を見せたら、タルタリヤの方が笑ってやるつもりだったのに。
「プライドの高いお前が、俺のためにはしたない格好をしてきたこと、それだけで充分だ」
「……先生って案外ちょろい?」
「ふ。言葉と軽い触れ合いだけでここまで恥じらう公子殿ほどではないな」
「う――るさい、なぁ、」
「ほら、帰るぞ」
 愚図る子どもを相手するような口調で言わないでほしい。腕を掴む手を振り払い、ごし、と熱の集まる頬を擦って立ち上がった。浮かれきっている鍾離のしゅるりと伸びる髪を掴んで引っ張ってやりたい気持ちに駆られながら、個室を出る背中を追いかける。
 ここから――鍾離の部屋に辿り着くまで、この感情を抱え続けなければならないなんて嫌すぎる。癪だ。対する鍾離は本当に腹が立つくらい浮かれきっているから尚更に。
 モラは先払いしているから特に止められることもなく外へと出られた。ひやりとした空気が頬を撫でていく。背中を向けている男から、今から本気を出せば逃れられないだろうか。せめて下に着ているものを脱ぎたい。鍾離に剥かれる前に。
 そんな邪念を感じ取ったのか、くるりと振り向いた鍾離が微笑みかけた。
「公子殿」
「……」
「逃げるのは構わないが、捕まる頃には汗が酷くなっているだろうな」
 ぞわ、と一気に痺れが項を駆け上がる。汗が酷くなればどうなるか、そんなことは既に汗をかいている時点で深く考えるまでもない。一瞬で想像が及んでしまうのは戦場では危機察知能力として優秀だが、ここでは損しかなかった。ぶんぶんと頭を振れば鍾離に片手を掴まれる。
「元々見せてくれるつもりだったんだろう」
「……すけべおやじ」
「ははっ、元はと言えば自業自得だ、今日も鳴いてくれ」
「絶ッ対萎えるからな、俺知らないから、何一つ興奮なんてしない……」
 せめてもの抵抗に掴まれた手を振れば離してくれこそしたが、逃げられないように手が届く距離をキープされ続けて、結局鍾離の部屋に連行されることになったのだった。

「……な、なんか言えよ、せめてッ、――そんなにまじまじ見ないでくれる?!」
「なるほど」
「何がだよ?!」
「着るところから見たかったな」
「やっぱりスケベ親父じゃないか!! ッ、あ、ま、まって、先生、」

 


2022.6.25