Bless with that journey

Bless with that journey

 03

 幼い頃から、唐突にふらりと現れる男がいた。いきなり現れる男はどう考えても人間ではない存在だったけれど、悪いものだという気はしなかった。むしろどこか懐かしくて、自分と彼女以外には見えていないと分かったときは残念で仕方なかったことを覚えている。
 昔は周りに他の人々がいた時でも姿を現すことがたびたびあったが、子どもが少年へと成長していくにつれて、少年が一人で過ごす時間が増えたこともあったのだろう、彼が現れるのは少年が一人の時に限定されるようになった。
 記憶が朧気な幼少の頃から今に至るまで、彼の姿は服装が多少異なることこそあれど、それ以上の変化が一切なかった。二十代半ばかといったような見た目と声のままで、太陽が沈み一層青みが増していく空のような蒼の瞳だけが、彼の時間の経過を表していた。
 少年が一人の時に現れるようになってからは、彼と会話することもあった。大抵はのらりくらりとかわされてしまって彼に関する話を聞きだすことはできなかったけれど、彼が死神であることだけは唯一確かな情報として聞かされた。
 思えば、本当にそれだけだったのだ。あとは少年の周辺の人々の近況を聞いてきたり、思い悩む少年の話に耳を傾けて一言か二言ほど助言を授ける程度。悪いものであるという気がしなかったあの奇妙な感覚と、幼い頃から会うだけで危害を加えられたことなどなく、むしろ親切にしてもらっていたから、少年もあまり強引に聞き出そうと思えなかった。
 それが変わったのは、少年にある変化が訪れてからだ。
 ――年齢が十四を越えた頃から、夢を見るようになった。
 それは見覚えのないものであったり、よく見知ったものであったりと様々だった。しかし決して少年自身が見てきた光景ではなかったはずだ。見知った人、見知った場所こそあれど、何かが違っていたから。
 けれど違和感を覚えることはなかった。少年自身も不思議だったが、夢を見るといつも決まって「ああいうことがあったのか」という感慨が湧くのみで、怯えることもなければ疑うことなど一切しなかった。おそらく無意識に理解していたのだろう。
 あれは、一人の少年の記憶だ。
 そしてその少年は、紛れもなく己自身である。
 そう確信を得たのは夢を見始めて数年経った後の、女帝の誕生日パーティから少しした頃だった。
 夢が――『記憶』が、終わりを告げたために。

 全てを思い出したことを周りの、生まれ直す前からの付き合いである人々に話せば、彼らは温かく迎えてくれた。そういった特異なものに慣れていたせいもあるだろうが、きっとあれは信じていてくれたのだ。
 少年が、少年たるゆえんをしっかり思い出すことを。

「はあ――……」
 一人きりの部屋でベッドに転がり溜息を吐いた。途中まで読んでいた本はぱたりと閉じて、もし眠ってしまっても潰してしまわないように枕元に放り投げる。ベッドに寝転がりながらぐっと身体を伸ばした少年は、見慣れた天井に視線を投げた。
 記憶を取り戻してからというもの、ラグス王国の復興のためにかつては学ぶことを許されなかった分野の書物にも手を出してみているのだが、これが案外たくさんあったのだ。ラグス戦争以降、戦闘用奴隷として扱われていた影響はやはりどうしたって色濃かった。
 それに。
 あの頃の記憶を全て思い出してから、彼が少年の前に姿を現していないことが気掛かりなのである。世界の『死』を管理するという役割上、彼が多忙でない時などない。七つに分かたれた個々ではなく、それを統合させ扱っているからこそ忙しく、それでも仕事が回っているのだ。
 果たしてそれが――彼が死神になったことが良かったのか悪かったのか、少年には分からないけれど、彼が望んだ結果のものであるというのなら、少年は文句こそ言ってしまうかもしれないが、否定しきれないことは目に見えていた。
 あの玉座から彼を引き抜いた時に言ったことを、多少意味は異なるが果たしきれなかったことも気にかかっているけれど。
 しかしそれはそれとして、会えないのは純粋に寂しい。
 彼の不在は、おそらく彼の思う以上に大きな穴となっていて、かつての彼を知る者たちとは未だに彼に関する話が上手くできないままでいるほどなのだ。でなければ、記憶を取り戻す前に少年は彼の名前を知ることが出来たはずである。
「あー……」
 会いに来てくれないのならこちらから会いに行く、というのも限りなく不可能であることを分かっているから、少年はベッドの上で溜息を吐くしかなかった。あのバカ、という罵倒のオプション付きだ。
 膨れ上がる右腕に宿っていた鎌の欲求に耐えしのぎながら少年と旅した。共に千年に渡る絶望を断ち切った。共に扉をくぐった。少年に、希望の光をくれた。
 少年にとっては、彼だってかけがえのない人なのだ。
 たくさん守られた。たくさん助けられた。たくさんの経験を、記憶を、思い出をくれた。友だと誓った彼らとはまた違う場所を占める彼の存在は、少年にとっては非常に大きい存在だ。
 だから、記憶を取り戻した今こそ、言いたいことがある。
「……なんで来ないんだよ」
 何度目かのぼやきに、まるで答えが返ってくるようにその音は響いた。
 ――かつん。
 はっとした少年は飛び起きて音の方向を見遣る。あれはもう何度も聞いた、彼の鎌がこの部屋の床を突いた音だ。鎌の材質の問題なのか他のものとは違う音の響き方に、少年の耳は即座に反応できるようになっていた。
 視線を向けた先、音の聞こえた場所には、酷く見慣れた――『記憶』に残るそれと寸分違わぬ姿の彼が、いた。
 晒された淡く光をはじく金髪に、馴染み深い黒のコート、胸元のロザリオ。一度は少年自身も振るった鎌は黒い革手袋のはめられた右手が握っていて、気だるげな表情の奥、深い蒼色は――いつだって、寂寥を湛えていて。
 ――あなたのなまえはなに?
 ――――んー……フェアローレン、かな。
 ――ふぇあろーれん?
 ――――死神だよ。オレはただの死神。そんだけだ。
 男自身も、他の誰も教えてくれなかった名前。
 フェアローレンと、死神と名乗って笑った男の名前。

「――フラウ」

 かつての記憶の中では何度も呼んだ名前を唇に乗せれば、男は目つきが悪いと散々言われていた目を大きく見開いた。
 その瞳はいつだってどこか寂しげだったそれとは違い、まるで子どものように輝いていて、少年は懐かしさに胸を強く揺さぶられる。この男のこんな顔を見たのは、一体いつぶりだろう。
 ベッドから立ち上がった少年は、ふらふらとおぼつかない足取りのまま男へと近づいていく。
「遅ぇよ、バカ」
「オレ、お前が死神になるなんて聞いてない」
「そりゃ言わなかったし」
「お前をフェアローレンにはさせないって言ったのに」
「死神は死神だがあの時言ってた形とは違うからいいんだよ」
「しかもお前、会いに来るくせに名乗らないし」
「今のオレが死神なのは本当のことだしな」
「死神死神って、お前はお前だろバカフラウ!」
 ぽんぽんと続く応酬にこみあげる懐かしさが止まらなかった。
 だが、本当はこんなことを言いたいわけではない。伝えなければならないと切に願っていた言葉はまた別にあって、それでもこの会話を途切れさせてしまうのも惜しく感じられて。
 結局、流れを断ち切ったのは男の方だった。
「……くくくっ、ホント変わんねぇな、クソガキ」
 その時、ようやく男が、昔の瑞々しさを取り戻したように思えたから。
「――ただいま。それから、おかえり、フラウ」
「おう。おかえり。……ただいま、テイト」
 伝えたかった言葉を、テイトはフラウにようやく伝えることができた。