04
ちょうど二人が揃っている時に姿を現した男に、青年と妙齢の女はここぞとばかりに前々から訴えていることをもう一度、声を揃えて叫ぶ。
要約すれば「みんなと会ってやれ」という旨の大声のステレオに、言われた側の男は顔を顰めて両耳を塞いだ。ぐわん、と反響した音まで収まったことを察すると、両耳を塞いでいた手をずるりと頭に移動させる。
クソガキはまだしもあんたはダメだろ女帝サマ、と絞り出すように口にした男に対し、テイトとオウカは追撃をかけた。
「なあ、本当になんで会ってやらないんだよ。やろうと思えばできるんじゃないのか?」
「だぁからやったことねえんだって」
「姿を変えることができるのだ、見せるくらいなら……」
「……」
オウカの言葉に黙り込んだ男は、そっと目元を手で覆い隠す。瞬間、ぶわりと男の姿が変化した。黒いコートはいつかに纏っていた司教服を黒く染めたような死神のそれに、フードを被って見えにくくなった顔は、肌も肉も目玉もない骸骨になる。
突然の変化にぎょっとした二人を見て男は言った。
「こっちの骸骨はまだしも」
骸骨を指差した手をすっとその前に横切らせれば、骸骨は人間の顔になった。
「この顔見せたら……アレだろ」
「え、逆じゃなくてか?」
男が言ったのは人間としての顔だ。テイトやオウカにとっては馴染み深いそちらの顔を、どうして見せたくないと考えるのかが分からず、テイトは首を傾げる。オウカは何かを考え込むような顔をして、何も言わないまま男の顔を見ていた。
「骸骨の方はゴースト時代の影響で慣れてんだろ。特にカストルとラブには、オレがいない間に肉体の方を任せてたし、おかげで戻ってきた時に毎度毎度見てたわけだしな」
「……黒法術師に教会を襲撃された時とか、そういう役割分担しっかりやってたもんなぁ」
「では、人間の顔の方を見せたくないのは」
「そりゃあ、聞くのは野暮ってもんだろ」
口の端を釣り上げるようにして笑った男に、オウカはやはり、一言話したきり男の顔を見つめている。男の言わんとしているところを理解できているオウカと違って、理解できないテイトは疑問符を浮かべるばかりである。
「お前は気付きにくいかもな」
「な、なんだよ、説明しろって」
「オレとそこの嬢ちゃんを見比べてみりゃ分かるんじゃねえの?」
見比べる、と言われた通りに、男とオウカの顔を見て、そこでテイトはようやく気付いた。本来であれば既に気付いていて当然のことだったのだ。むしろ何故すぐさま分からなかったのだろうと考え、そうか、と頷く。
生まれ直したテイトが、もうあの扉をくぐった年齢を超えたように。王女だったオウカが、街に時々繰り出し道行く人々との交流を好む女帝になったように。
テイトと周りの人々たちとの間には、年齢差が生まれてしまっているのだ。
けれど、あの時から――寸分違わぬ顔で彼はここにいる。
「老けて、ない」
「その通り」
呆然としたテイトを見て笑う男と、どこか痛ましさを感じさせる表情のオウカ。分かっていなかったのはテイトだけだったのだと、今更思い知った事実に胸が痛んだ。
「で、でもセブンゴーストだった頃は……あの頃だって肉体はっ」
「その肉体がねえんだよ」
「――っ」
今の男は、かつて七つに分かたれた能力と使い魔たちを統括している完全なる死神である。鎌と同化した彼はあの時点で肉体を失っているも同然だったのだ。
男はテイトと共に扉をくぐり、本来ならば新たな生を貰い受けていたはずだった。けれど彼の時計の針は止まり、不老不死のその上を行く存在となってしまった。今の彼は断片などではない、紛れもない神の一柱である。
「もう二十年くらい前か? それ以来変わってねえオレが今更あいつらに会って、あいつらがどう思うかなんか明白だ。結局オレの自分勝手と、あとは長の……世界のシステムの関係で色々とあったってだけなわけだしな」
死神衣装のままの男はフードを下した。露わになった淡く光を弾く金髪が眩しかったから、と自分に言い訳しながらテイトは視線を逸らす。一気にしんみりとした雰囲気になって、何を言えば良いのか分からなかった。
昔だったならきっと、彼は俯いたテイトの頭を撫でてくれた。ぐしゃぐしゃと髪を掻き乱すようなその手つきは荒っぽかったけれど、本当に沈んでいる時の手つきは優しかった。子ども扱いするなと何回も反発したけれど、今となってはあの感触が惜しい。
死神となって以降の男は、体温がないことを気にしていたあの頃よりも増してテイトに触れなくなった。生者と死神という立場の違いもあるのだろう。昔から司教らしくない司教だったけれど、守るべきことだけは絶対に守る男だった。
寂しいなと、そう思う。あの大きな掌が、実を言えば好きだったから。
「其方は本当にそれで良いのか」
静寂を切り崩したのは、オウカの言葉だった。
「大体お前さんの言いたいことは分かってるつもりだ」
男を見上げるアメジストの輝きは強く、揺るぎない意志を感じさせる。
「幼い頃は言語の勉学に励んでいたのであろう」
「っオイそれどこで」
「わーっオウカそれは秘密だって!」
「やっぱお前かクソガキ!!」
「聞け!!」
周りの人々に、会おうとしない男の話を振るのはどうかと思い、懐かしい昔話をするような心地でオウカに話したことが災いした。あの扉の中で見たことはきっと本人とテイトと、もしかすればカストルやラブラドールが知っている程度のことだったのだろう。
思わぬ暴露にヒートアップしかけたテイトと男の言い合いを遮った声の主は、凛とした瞳で男を射抜く。
「考えられぬ頭脳ではないのなら! 何故、っ何故分からんのだ!」
「オウカ……」
「其方とテイトがあの扉をくぐって、もう二十年近いのだぞ! すぐ帰ってくるかもしれないと思っていた其方は戻らず、テイトはわざわざ皆の夢に出てきてから舞い戻ってきた! だというに、其方は、皆の中では、其方だけは未だ不在のまま……」
悲痛さの滲む声は尻すぼみになって掠れていた。
医者になるという夢こそ断念したが、女帝となった今も街中を出歩き、臣民と談笑し、具合が悪い者がいれば率先して治しにいく彼女は、強い女性になった。テイトが昔の年齢を超えたように、それだけの時間で彼女も成長した。
しかしあの頃に取り残されたままの男は、笑みを消した冷たい暁闇の瞳で二人を捉える。
「輪廻にも乗れなくなった死人のことなんざ忘れちまえよ」
氷塊を飲み込まされたような苦しさだった。――と、見開いたままの目で男を見つめるしかできなかった二人に、くしゃりと男は表情を歪める。
「……って、言いたいところなんだがな」
凍り付いた二人をそのままに、ぐしゃりと髪を掻き乱した男は深く息を吐いて空を見上げた。
「オレは完璧に作られた先代と違って、ガキの頃でも鎌に呑まれなかった魂とか、斬魂としての働きとか、めちゃくちゃ美味そうな魂をちゃんと手ぇ出さないまま送り出した理性とか、結果的に千年の因縁を解き放つ手助けをしたとか、そういう諸々をひっくるめて評価された上で、死神っていう役目を引き継ぐことになった。
そん時に、元は人間っつーところを気にして、ルールにゃ厳しい天界の長とは思えねえような配慮ってもんをされたっていうか……」
視線を二人に戻した男は、そっと両手を持ち上げた。
その両手で――二人の頭を、撫でる。
「生前の知り合いは大抵死んじまったからって理由で除外されたが、オレが斬魂だったって知ってる相手には、今回の生涯が幕を閉じるまでって制限付きで、死神じゃなく、オレっていう個人として接触の許可が出てるんだよ」
実はな、と秘密を打ち明けたように口にしたフラウに、頭に乗せられた掌の大きさがかつての記憶と寸分違わぬことを噛みしめながらテイトは口を開いた。
「じゃ、じゃあなんで……」
しかし言いかけた言葉は、男によって妨害されてしまって。
「そこはまあ、オレにも色々と事情があるってこったな」
よしじゃあ仕事に戻るか、とそれまでのしんみりとした空気を吹き飛ばすように呟いた男は、テイトの髪だけをぐしゃぐしゃに乱した。思わずやめろと反発すれば男はくつくつと笑う。
「じゃあな」
ぽん、と。最後は優しい手つきで。
離れた手だけが、消える直前にひらりと二人に別れを告げた。
その姿が消えてしまう前にと、テイトは弾かれるように叫ぶ。
「また来いよ!」
言い切る頃には、男の姿はもうそこになかった。
届いたどうか定かではない言葉だったけれど、きっと届いたはずだ。
◆
訪れるたびに成長していく樹木の下で、男は細めていた。
あれからもう二十年弱が経っている。いくら人間よりも成長の遅い樹木といえど、それほどの時間があれば成長するものだ。人間ならば成人する程度の時間で、樹木は高い方である男の身長ほどの大きさになっていた。
この樹木は、かつての男を知るものの中で一番長生きするだろう。その長い生は決して男には追いつけないほどでしかないが、これからの男にとっては瞬きほどの時間だったとしても、大切に想ったこの場所を任せられると、そう思う。
しかしアンタはどこまでデカくなるんだかな、と呟いた男に、背後から少女が抱きついた。どん、と勢いをつけて抱きつかれた男は何事かと背後を振り返り、一気に脱力する。
「誰かと思ったらフラウちゃんじゃない!」
「最後にここに来たのはいつだったかしら?」
「ランセちゃんが巡回から戻った直前だったから、確か三ヶ月くらい前ね。いつもは半年くらい間が空くのに、珍しいわねぇ」
「お前ら……」
女三人寄れば姦しい、とは言うもので、男の周りをふわふわと飛びまわる少女たち――バルスブルグ大教会の守護者たる精霊たちは、きゃっきゃと好き勝手に盛り上がり楽しげだった。
「あんまり間開けずに来て悪いかよ。気まぐれだ、気まぐれ」
「気まぐれって言うわりには貴方、忙しいんじゃないの?」
「今となっては立派な死神さまですものね」
「たった一人でこの世界の『死』を管理だなんて、千年前よりも生命の増えたこの世界じゃ大変なんじゃない?」
「あー、まあ大変だけど別に心配されるほどじゃねえよ。消魂の能力のおかげで、昔より移動の手間が省けて楽だし」
「さすがセブンゴースト全ての能力を統べるだけはあるのね! でも慣れるまでは大変だったでしょう?」
「斬魂の能力と鎌ばかり使っていたんだもの。他の……特に特殊な部類の醒魂や契魂の能力を操るのは簡単ではないはずよ」
「お、おう。まあ鎌と斬魂が一番付き合い長いからな……たぶん一番相性良かったってのもあるんじゃねえかな。他の能力は、預魂と消魂と遺魂は別として、醒魂は閻魔帳の管理がめんどくせぇし、匙加減が難しいのは契魂と繋魂だけど……あんまり契魂の能力使うことねえしなー。使うとなると情状酌量の余地とか……あー、今だけは仕事のことを忘れたい……」
「あらあら、お疲れねぇ」
だからこそ、ここに来たのかしら?
俯き頭を抱えた男は、何気なく告げられた精霊の言葉にばっと顔を上げる。
柔らかい笑みを浮かべる彼女たちは揃って男の顔を覗きこむように見ており、気まずさに耐えかねた男は目を逸らした。
昔からよく肉体から抜け出して仕事していた時に絡まれていたものだが、やはり彼女らはいくら外見が少女らしかったとしても、男が初めてこの教会に来た頃からここにいる存在なのだ。
こればかりは敵いそうにない、と男は息を吐いた。
「……そういやお前ら、オレが死神になってからここに来た時、案外あっさりと受け入れてくれたよな」
「え? あぁそうね……だってフラウちゃんは元々斬魂だったわけだし、わたしたちにとってはあまり変わらないじゃない」
「元セブンゴーストたちは一応見えるようだけど、あの頃よりも輪郭がぼやけて見えるらしいから、きちんと見えるのがフラウちゃんだけになってしまったのは寂しいかなって思うけれど」
「人間たちからすれば今のフラウちゃんは前とは違うのかもしれない。でも、やっぱりフラウちゃんはフラウちゃんじゃない」
「……んー、やっぱそういうもんなのか?」
そういえば何度も似たようなことを言われている。いや、そんなことはとっくに分かっているのだ。死神だろうがゴーストだろうが人間だろうが、彼らにとって男は結局フラウという一個人でしかなくて、それ以上でもそれ以下でもない。
今更直接顔を合わせることを怯える必要性だって、本当は無い。むしろ限りある時間を無為にしている状況だ。できるだけ早く顔を見せてやるべきなのだろう。
――こうなっては、どちらが置いていった方なのか分からない。
「そういうものよ。きっと他の子たちもね」
「うへぇ、お見通しってか。怖えなぁ」
「だって貴方、教会に来るのは大抵ランセちゃんが戻ってる間だけだもの。それに見える人を警戒してるからなのかしら? あまり目立つところに行っていないようだし」
「この日当たりの良い樹の下に来るのは、これが彼だからでしょうしね」
「……大当たりだよ」
己が正義を振りかざし、その身を堕とした元大司教補佐。教会における男の師。
空に連れて行ってくれた彼とは違う、けれど今でも大切な相手だ。
「樹なら平然と寄りかかれるんだけどな。オレもまだまだだ」
――もういい加減、恐れるのはやめなければならない。
男の大切な者たちの時間は決して長くない。悠久の時を生きていく男と彼らは違う。確かに、時間に取り残されていくのは男の方だ。男はその道を選んだ。
これから男は何度も大切な者たちを失っていく。感覚的にはそうであっても、失うという言葉は誤りだ。魂は流転する。一度還ったものはまた舞い戻る。ただ形が異なり、新たに貰い受けた生よりも前のことを記憶していないだけ。
男が死神となった以上、使い魔たちのせいで魂そのものが消えてしまうことはもうないのだ。
だから悲しむ必要性はない。ああ、分かっている。
それがただの死神の思考でしかないことも。そんな理屈で人間の心は御せないということだって、痛いくらいに実感している。
そうだとしても。
いい加減腹を括ってしまわなければ――失う恐怖に怯える人間の心を宥めて、それよりももっと辛いことがあるだろうと、納得させなければならない。
彼らが彼らである時間はもう死神にとっては幾ばくもない。
なら彼らが彼らであるうちに、たとえ刹那の記憶に過ぎなかろうが、同じ時間を過ごしたい。一緒に老いることも、一緒に転生してその後を生きることはできないけれど、傍観者になりきる前にやらなければ絶対に悔やむことがある。
大切な者たちを遠くから眺めることなんて、今後厭というくらいにできるようになるのだ。
この世界が終わるその日まで、輪廻する魂を、その生の安寧を、その死の公平を守り続けるのが死神の仕事だから。
だから、ただの男で――フラウのままでいられるうちに。
「今日のところはそろそろ退散するわ」
「あら? 様子見ていかなくて良いの?」
「さっきちらっと見てきたからいいよ。じゃあな」
「またいらっしゃいね、フラウちゃん」
「今度は三ヶ月といわず一ヶ月間隔でもいいのよ!」
「そりゃ嬉しいラブコールだ」
くつりと笑みをこぼして、男は目を閉じる。
