染み付く根雪

染み付く根雪

 璃月は山が多く、地形の起伏が激しい。かと思えばかつての繁栄を示す遺跡もあり、魔神戦争によって生まれたのだという複雑な地形は旅する者たちを惑わせる。璃月港以外にもぽつぽつと小さな町村は点在するものの、必ずしも休みたい時に町村にまで辿り着けるとは限らない。
 携帯式鍋が生まれたように、璃月を旅するのなら野宿は当然視野に入れるべき選択肢だ。
 タルタリヤは訓練を受けており野営も経験しているし、かつてファデュイに入りたてだった頃は粗末なテントで眠ることもあった。戦場では決して安全な場所で眠れるとも限らない。戦場に立ち始めて長いタルタリヤにとって、野宿は慣れたものである。
「もう暗いけど、まだ探索したいんだよな……」
 ワープポイントから離れた場所まで来ており、また明日ここまでやってくるのに時間もかかるだろうからと悩む旅人に、なら野宿でもするかい、と声をかけたのだ。旅人も野宿慣れしていたし、同行していた鍾離も別に問題ないだろうと思ったから。
 二人が良いなら、と言う旅人に、タルタリヤと鍾離は了承した。鍾離の様子を窺うような旅人には少しだけ笑ってしまった。上等な服に身を包んだ鍾離に野宿が似合わないという部分には同意できたけれど。
「じゃあ夜の見張りは俺がやろう」
「おまえがか?」
「うん、俺は慣れてるからね」
 野宿の準備をし、食事も終えた後のタルタリヤの提案に、パイモンは疑うように目を眇めた。旅をしているだけあって旅人もパイモンも野宿には慣れているだろうが、やはり見張りは居た方が良いし、タルタリヤに旅人を襲おうという考えは一切ない。
「不安なら起きててもいいけど、襲い掛かりはしないよ。せっかく戦うなら万全の状態が良いからね」
「……そうだ、こいつはそういう奴だった」
「だろう?」
 パイモンに笑いかければ、溜め息を吐いたパイモンはタルタリヤの方を見ている旅人を宥めて寝かせにかかる。戦闘自体はタルタリヤと鍾離も参加していたが、探索は旅人が先導して行っていたものだ。周囲に気を配る以上、旅人も疲労が溜まっているだろう。休めるならそれに越したことはない。
「旅人もパイモンも安心して眠るといい」
「鍾離先生もこう言ってるし」
「分かった、じゃあ任せる」
 鍾離からの思わぬ援護に内心驚きつつも便乗すれば、旅人はようやく頷いた。パイモンと共に寝に入る。それから視線を外したタルタリヤはぱちぱちと爆ぜる音を立てる焚き火を眺めつつ静かに待った。
 しばらくして、すう、と安らかな寝息が聞こえてくる。
「……で、先生は寝ないの?」
「そういう公子殿は寝なくても良いのか」
 一向に寝ようとする姿勢さえ見せない鍾離に問いかければ、鍾離は逆にタルタリヤに問い返す。普通凡人は睡眠時間を取らなければ死ぬものだぞと思いこそすれ、口に出してまで指摘しようとは思えなかった。わざわざタルタリヤに聞いてくるくらいだから、さすがにそれくらいは知っているのだろう。
 鍾離が本当は睡眠を必要としない身体だったとして、凡人になったというならその辺りは倣えという話だ。じっとりとした目で鍾離を見て、しかし言わなければこの男は斜め上の発想もしかねないかと、タルタリヤは息を吐いた。
「こういうのには慣れてるし、訓練もされてるんだ。一晩寝ないくらいなら問題ないよ。そういう先生は寝なくても良いの?」
「ああ。だから旅人と一緒に公子殿も寝かせようかと思ったんだ」
「ええ……あー、分かった、じゃあ途中で交代しよう。俺だろうと鍾離先生だろうと、一晩寝てないって知ったら気にしそうだからね」
 それもそうだなと納得する鍾離に、順番はどうするかと思考を巡らせる。これが戦場で、あるいは部隊で動いていたなら戦闘力や野営慣れ等を鑑みて決めるものだが、鍾離ならばどちらでもさして変わりあるまい。
 タルタリヤは少し考え、ぽんと手を打った。
「なら先生、先に見張りを頼むよ。その間俺は少し寝るから、起きたら交代しよう」
「分かった」
 頷いた鍾離に、タルタリヤはさっそく仮眠を取る方に意識を向ける。何かあれば自然と起きるように習慣付けられた身体だ。戦力だけで見れば鍾離だけでも充分だろうし、これまでの野営よりずっと安心して眠れそうだった。
「おやすみ、公子殿」
「……おやすみ、先生」

 数時間経っただろうか。自然と意識が浮上すると共に瞼を押し上げたタルタリヤは、周りがまだ暗いことを認識し、傍に気配が三つあることを確認する。思っていた以上にしっかりと眠りに入っていたのか、少しだけ意識がふわふわしていた。
「起きたか」
 鼓膜を震わせる落ち着いた低音にそちらを見れば、彼はタルタリヤが寝る前とほとんど変わりない体勢で、しかし何故か周りに琥珀のような光を舞わせていた。ひらひらと光の尾を引いて空を翔るそれをぼんやりと目で追って、旅人が必死に捕まえようと跳ねていたのを思い出す。
 人間の存在に敏感なそれらは近付くとすぐに空高くへ逃げていってしまうから、まるで従えているかのように傍に舞わせているだけでなく、その肩に止まっているというのは早々見られる光景ではない。
 けれどそれらは、ある習性を持っている。それを思い出して、タルタリヤはまだ醒め切らない意識のまま呟いた。
「……あぁ、かみ、だから」
「もう神ではないが。まあ、晶蝶は元素力に惹かれるからな。こうした夜の野外ではよく好かれる」
 鍾離が指先をそっと出せば、傍を舞っていた岩晶蝶がその長い指の先に止まる。
 晶蝶は元素から生まれた存在で、元素をその核に吸収する。だからなのか元素に敏感なようで、璃月では鉱石の周りで見かけることが多かった。旅人が晶蝶を捕まえたがっていたのも、その元素を吸収する核心が、地脈を活性化させる樹脂の効力を高める媒介として適しているからだ。
 目の前の男は岩の元素力を、きっと誰よりも持つ存在である。なるほど確かに、元素力に惹かれる存在にとっては極上の存在だろう。
 しかし元素力に惹かれるのは決して晶蝶だけではない。晶蝶だけなら幻想的で済むが、世界はそう簡単ではないのだ。
「それ、スライムも呼んだりしないの?」
「だから片付けておいた」
「……」
 鉱石の傍には晶蝶よりもスライムの方が湧きやすい。そう考えての問いを肯定され、タルタリヤは衝撃を受けた。スライムは同じ属性の神の目を用いた元素攻撃が効かないが、物理的な攻撃でなら簡単に片付けられる。とはいえ、戦闘は戦闘だ。
 まさかタルタリヤが、傍で起こっていたはずの先頭の気配に気付かないなんて。自分自身のことなのに愕然としてしまい、タルタリヤは思わず口が開いてしまった。
「よく眠っていたな」
 鍾離の口元がにやりと歪められる。鍾離にしては珍しい意地の悪い笑みに、タルタリヤの衝撃も、その理由も見抜かれたのだろうと悟った。込み上げる苛立ちは喉元でどうにか留めたが、タルタリヤはぐっと顔を顰める。
 ひら、と晶蝶がタルタリヤの苛立ちを察知したかのように高く舞い始めた。ああ、確かにそれを綺麗だとか、幻想的だとか、思ってしまったのは事実だ。その瞳に似た色の光を散らして舞う晶蝶は、鍾離に似合うと。
 けれどそんな風に呆けていた自分を殴りたい。お前がそう感じたのは凡人になったと言いながら、自分がいかに人外であるかとろくに理解できていない男なのだと。
「ッ交代! 早く寝ろ!」
 叫び声は叫び声と言えるほどの声量にならかった。なにしろ旅人とパイモンが、まだすやすやと安らかな寝息を立てていたので。

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 鍾離さんが居れば晶蝶に困らなくなるってことか、と子どもは呟いていた。
 揶揄われたこともあっていつぞやの夜に見た光景を旅人には共有していなかったのだが、秘境に潜っては地脈から押し出された秘宝を集めている旅人に、ぽろりと零してしまったのだ。どうやら欲しかった効力のものではなかったらしく、残念そうに肩を落としていたから。
 錬金術に関しては門外漢のタルタリヤには分からないが、聖遺物に関しては他人事ではない。旅人から渡された聖遺物は確かにタルタリヤの持つ力を強化してくれるからだ。本当に不思議な子どもだと思う。
 効率よく聖遺物を集められるようになるならそれに越したことはない。タルタリヤも戦闘は好きだが、同じような戦いをずっと繰り返し続けていれば飽きが来る。そして飽きるということは慣れることとも近しく、慣れは慢心を生むのだ。
「だから先生に頼ればーって話しておいたよ」
 もう習慣となってしまった食事の席での話題は様々で、近況報告から観劇の話、新たに刊行されたのだという雑誌の話、そして共通の知人である旅人の話など、取り留めもないものが多かった。基本的にどんな分野の知識も持つ鍾離の話はどこを切り取っても学びに繋がるから、本当に取り留めもない話というのは珍しいが。
「ああ、聞いている。だが『反則技みたいで頼りにくいから本格的に足りなくなったらお願いする』と言われたぞ」
「あの子らしいな」
 きっとあの子どもの傍にふよふよと浮かぶ小動物のような存在は騒がしかったことだろう。特に鍾離やタルタリヤに対しては遠慮という言葉を知らないと言ってもいいくらいだから。
 しかし晶蝶というと必死に飛び跳ねている旅人より、あの夜の鍾離より、タルタリヤには瞼の裏に染み付いた光景がある。
「晶蝶なんて、そんな珍しいものじゃないと思ってたから意外だな」
 確かに捕まえようと思えばそれなりに苦労するのかもしれないが、存在そのものはさして珍しいものではないだろう。
 雪原を舞う、雪のような蝶。銀世界を自由に舞い踊る氷晶蝶は、雪国生まれのタルタリヤには見慣れたものだった。
「スネージナヤではよく見るのか?」
「特に冷える日はよく飛んでたよ。吹雪の日でもあれは光って見えるから、遭難者が救助が来たのかと期待して、氷晶蝶だと気付いて落胆する、なんてよく聞いた話だ」
「随分と風情に欠ける話だな」
「はは、でもキンと冷えた晴れの夜はそれなりに綺麗だよ」
 降り積もった雪が月光に照らされて輝く中、真っ暗な夜空を、まるで流星のようにその氷元素を煌めかせて舞うのだ。ゆらゆら、ふわふわ、ひらひら、不安定な軌道を描く薄青の光は、夜空を儚げに彩る。スネージナヤに来たばかりの者たちは感動するかもしれない。
「スネージナヤの寒さに慣れてない場合、寒すぎて景色どころじゃないかもしれないけどね」
「一歩間違えれば凍死しそうだな」
「そのための蒸留酒だよ」
「泥酔しても凍死するだろうに」
「まあね」
 笑いつつ、スネージナヤの酒とは違う醸造酒に口をつけた。スネージナヤでの酒は体温を上げるための手段だが、執行官となって他国で酒を飲むようになってからはほとんどが外交手段の一つとしてだったから、酒を楽しむために飲むようになったのは、それこそ鍾離と食事をするようになってからかもしれない。
 鍾離は璃月を長く見守ってきただけあり、どんなものであれ薀蓄が出てくる。そのせいでタルタリヤの記憶には、璃月で見てきたものの大半に鍾離の話した言葉が結びついていた。今飲んでいる醸造酒も、この店も、鍾離が最初に勧めたものなのだ。
 ずるいな、と思う。タルタリヤは璃月の至るところに鍾離の記憶があるのに、鍾離にはきっとそんな痕跡はないのだ。鍾離にとって璃月は璃月であり、璃月そのものの記憶でしかない。そこにあるタルタリヤの痕跡は、ほんの一瞬過ぎる影に過ぎないだろう。
 タルタリヤには璃月に、璃月で知ったことに、その多くに鍾離の記憶が伴っているというのに。
「氷晶蝶といえば、あれは氷元素なだけあってすごく冷たいんだ。岩晶蝶にはそんなに感じなかったけど、氷晶蝶は一瞬で消えるような細かい氷の結晶を振りまきながら飛んでて――」
 もしかすれば鍾離は知っているかもしれない。長く生きる男の知識の限界はさっぱり分からないのだ。けれど彼が璃月を見守ってきたものである以上、璃月の外のことにはそれほど詳しくはないだろう。
 ならばタルタリヤは雪のことを教えよう。スネージナヤではありふれた、日常の一部に過ぎない知識を語ろう。
 璃月にも冬が来て、雪が降るのだから。
 しんしんと降り積もる雪を見たこの男が、璃月そのものより、慌てふためく人々より、タルタリヤのことを考えてしまえば良い。

 


2020.12.22