さすがに旅人と少女、そして鍾離の三人での食事では琉璃亭や新月軒といった高級料亭は金銭的に厳しいものがあり、今日は三杯酔での昼食だった。元は偶然璃月港内で行き会っただけだったが、講談師の話が終わってしまえば自然と近況報告になる。
妖異を未だ目にしたことがない少年方士の独特な修行に付き合った話だとか、万民堂を離れ新たなレシピのためにあちこちへ赴く少女に付き合ったらまた驚きの調理風景を目にすることになった話だとか、旅人とその連れから出てくる話は様々だった。
そんな風に一通り話し終えた旅人と少女は、耳を傾けていた鍾離をすっと見据え、一度お互いに顔を見合う。視線で交わされる会話は、彼ららしい意思の伝達方法だった。「聞いてみようぜ」とふわふわ浮かぶ少女が旅人を促し、旅人はこくりと頷く。
「どうかしたのか?」
何か聞きにくいことだろうか。考えながら、促すように鍾離の方からそう言葉を発すれば、まずはとパイモンが口を開く。
「公子のヤツのことなんだけどな」
「見かけた時は声かけるし、喋ることもあるんだけど……」
「なーんか、調子が狂うっていうか……前までより、控えめ? になったっていうか。鍾離は何か知らないか?」
「公子殿の様子がおかしいということか」
「うん」
以前までは「秘境でも行くのかい?」と旅人に同行できないか、あわよくば戦えないか、そうでなくとも身体を動かす理由はないか、といった様子だったが、最近はそれがないのだという。どころか旅人たちと会話している最中も、他の何かを気にしているように感じられるらしい。
戦闘が好きというタルタリヤは、しかし『公子』の名前を冠していても違和感はない程度に所作は美しく、それが必要である時には礼儀正しく対応する。気心知れた相手とはいえ、旅人たちはタルタリヤも気に入っている相手だ。そんな彼らとの会話中も意識が逸れているというのは確かにタルタリヤらしくない。
ここ最近のタルタリヤの様子か、と鍾離は思案した。タルタリヤと対面している際、旅人が言うような違和感は抱かなかったはずだ。強いて言うならば最近会うのは琉璃亭や新月軒など、個室のある料亭でのことばかりだったくらいか。
「というか、鍾離先生は今もタルタリヤとご飯食べること、ある?」
「あるぞ。ああそうだ、会ってはいるが……しかし俺が出歩いている時に姿を見かけたことはなかったな」
「オイラたちはよく見かけるのに、時間帯の違いか?」
パイモンが首を捻るが、旅人たちと鍾離の活動時間にはそれほど差があるようには感じられない。今日こうして行き会ったように、何か特殊な仕事が入れば話は別だが、鍾離も概ね一般的な生活を送っているのだから。
となると、見かけて軽く会話する程度のことがある旅人たちと、姿を見かけた記憶もない鍾離。そこに差があるとするならば、間違いなくタルタリヤの最近の行動には意味がある。旅人が物言いたげな顔をした。
もしも鍾離を避けているのだとしたら、それは後ろ暗い企みである可能性が高い。旅人たちも脅威たりうるが、それ以上に策略という点において、鍾離を相手取るのは得策ではないとタルタリヤが判断していることは旅人たちも鍾離も知っているのだ。
とはいえ、仮にその通りだったとして、鍾離がタルタリヤの企みをいちいち妨害する理由も見つからなかった。鍾離は神ではなく、璃月は神のものではない。タルタリヤが今の璃月港で悪事を働こうが、それは人々が対処すべきものである。
「食事はしているから、街中では避けられているというのであれば何か公子殿には目的があるのだろうな」
「鍾離さんに見つかりたくないような……?」
「アイツ、また悪巧みしてるんじゃないだろうな!?」
「気になるなら聞いてみれば良いだろう。お前たちには素直に答えるかもしれない」
少なくとも避けられているらしい鍾離より、気も漫ろだったとして会話できる旅人たちの方が聞き出せる可能性は高い。それにタルタリヤのことだから、案外旅人たちには素直に話すかもしれなかった。どうにも年下や部下といった目下の存在に甘い節があるのだ。
しかし、こうして旅人たちが違和感を抱いたように、彼らは決して鈍くない。どころか特に何も気付かなかった鍾離よりも鋭いと言っていい。そんな鋭さを持つ彼らと鍾離を分けている理由は純粋に気になる。
「聞いて答えてくれるのかな?」
「それは聞いてみなきゃ分からないな。早速次会った時に聞いてみようぜ!」
そうだね、そうだぞ、と頷き合う二人を眺め、鍾離も一つ心に決める。
ただ純粋に気になったから。そんな探究心に素直に従ってみるのも一興というものだろう。
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それからというもの、街中を歩く際にはよくよく辺りを見回すようになった。一切行き会っていなかったわけはないはずだから、意識して周りを見ればタルタリヤの姿をちらと認識するくらいは出来るはずだと踏んでの行動である。
意識し始めてみれば、さして苦労することなく姿を捉えることは出来た。出勤時、昼食時、夕食時、街中をぶらつくというごくごく普通のタルタリヤの姿である。しかしあまりにも普通すぎたからこそ、おやと鍾離は違和感を抱いた。
遠目で確認することは出来たのだ。しかし瞬時にというほど素早くはなく、だがあまり長くはない間に、璃月人ではないがために目立つはずの容姿はするりと人々に紛れて見えなくなる。あの蒼い目が一瞬でも鍾離を捉えることはなかったから、鍾離に気付いてあえてやっているのだとしたら相当上手い。
彼が器用なことは知っていたが、あれならばあの目立つ容姿さえどうにか出来てしまえば諜報活動にもさぞや向いていたことだろう。本人がそれ以上に正面からの戦闘を好むから、結果としてそれが本人の取る戦略に組み込まれることは少なかったのかもしれないが。少なくとも少し前のあの騒動では用いていなかったはずだ。
本気で追いかけてみるかという考えも過ぎったが、鍾離は時折視界に入り込むタルタリヤを、ただ見えなくなるまで意識し続けるのみに留めた。
璃月港は商業の港である。物の流れが盛んであるということは、人も同じくらいに行き来しているということだ。もちろん璃月港で暮らす人々を始めとして、外国からやってくる商人、璃月の他の土地から働きに来ている労働者たち。
確かに璃月において、タルタリヤの容姿は目立つ。顔が整っているから、長身だからというわけではない。明るい金茶の髪に、彼の祖国を象徴する雪のような肌、深海の如き蒼の瞳。そのどれもが璃月らしくなく――しかし最もタルタリヤをタルタリヤたらしめているのは、間違いなくあの全体的に灰で構成された、彼の執行官としての制服である。
「……まるで誘っているようだな」
視界の端、今日も今日とてするりと消えていく金茶の頭を見送り、鍾離は独りごちた。それを拾い上げる者は居らず、往来は鍾離に構わず流れていく。
今日のタルタリヤの服装は、璃月人たちが纏う璃月特有の服だった。色合いこそよく見る執行官のそれと似通っているが、スネージナヤらしい意匠が取り入れられているわけもなく、ただ腰に下がった赤い仮面だけが、彼をタルタリヤだと認識させる記号となっている。
当然、タルタリヤが持っている服が執行官の制服だけではないことなど鍾離とて知っていた。基本的に外に出る時はあの制服を着ているから印象が薄いが、スネージナヤの者たちが着ている私服を彼も持っているのだ。実際に着ているところを見たこともある。
だが――制服を脱ぎ、私服を身に纏うということは、タルタリヤの責務を一時的に肩から下ろしているということとも同義だ。
ならばあの禍々しい仮面を身につける理由もない。鍾離と共に私服で出かけた時、彼は仮面を置いていっていた。あまりこういうことはすべきじゃないんだけどね、と笑いながらも。
ふらりふらりと人波に埋もれて街をぶらつくタルタリヤは、あれでいて執行官という立場に見合う多忙さをしている、ということも鍾離は知っている。旅人がどこまでタルタリヤのことを、そして鍾離とタルタリヤの関係性について知っているかは定かではないが、旅人が思うほどにタルタリヤは自由ではないのだ。
わざわざ執行官の証と言っても良い仮面を見せつけるように身につけながら、執行官の制服を脱いでいる理由とは何だろうか。
鍾離が確認できた限りでは、制服で出歩いていることも、璃月の服装で歩いていることもあったが、スネージナヤ様式の私服で歩いていること――更には彼の部下であるはずの銀行員たちが身に纏うはずの制服を着ていることさえあった。
ころころと様々に服装を変えながらも、執行官であるという証を外さない意味。そうまでしながら、街中をふらふらと当てもなく歩いている意味。決して自由の身ではない彼が、そうまでして何かを誘い込んでいる意味とは。
考え込みながら顎にあてていた手で、鍾離は口元を覆った。
材料は揃った。あとは実際に動くかどうかだが――好奇心は潰えない。であれば、鍾離のしたい選択は一つだ。
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タルタリヤを食事に誘うために銀行に足を運んだところ、タルタリヤは留守とのことだった。ならばとスタッフに言伝を頼み、鍾離は往生堂へと戻った。
二人の宴席は、タルタリヤから誘ったり鍾離から誘ったり、街中でばったり会ってどちらともなく店に足を運んだりと様々である。当然ながら、後者は最近ではなくなっていた。今思えば、あれは街中ではタルタリヤが鍾離を避けていたからだろう。
タルタリヤが留守にしていることはそう珍しくもない。執行官としての仕事は内務が多いが、部下の外回りの仕事をこなしていることもあれば、会食の準備などで外出していることもあった。
鍾離が銀行に足を運んだ時はタルタリヤが直接対応に出てくることが多いが、今回のように外出中だという理由でスタッフに言伝を頼むことは稀にあることだった。勿論タルタリヤが往生堂へと鍾離を誘いに来た際にも似たようなことが行われている。
最近はどちらかといえばタルタリヤが往生堂にやってきて、個室のある高級料亭を予約してある、と言ってくることの方が多かった。だからこそ鍾離は違和感らしい違和感を抱くこともなく、旅人たちから話を聞くまで何も気付かなかったのだ。
そう考えてみれば、タルタリヤの隠蔽能力もなかなかのものだろう。
いつから始まっていたか知らないが、間違いなく直近の宴席は旅人が違和感を覚え始めるより前だった。となれば、タルタリヤは素知らぬ顔で鍾離と食事を共にしていたことになる。
それはタルタリヤの能力の高さや、仕事に真摯な態度が表れているようで面白いが、けれどどこか面白くないような気もした。今回食事の誘いをかけたのも、そんなほんの小さな理由だ。
別にタルタリヤが鍾離に対して隠し事をしていようと、鍾離に何か不利益が発生するわけでもない。例えそれが悪巧みだったとしても邪魔をする気なんてなかった。
「何か、言いたそうな顔だね」
宴席の後、鍾離の部屋についてきたのはタルタリヤの意思だ。鍾離が誘いをかけたわけでもなく、店を出た後に自然とタルタリヤが鍾離の後をついてきた。鍾離の僅か後ろ、下ろした手が触れ合うこともない程度に左右に余裕を持たせて。
拒まなかった鍾離がタルタリヤを部屋に招き入れたところ、家主である鍾離よりも先に寝台にころりと寝転がって鍾離を見上げたタルタリヤが口にしたのが、先の言葉だった。
寝台の傍の間接照明をつけると、ぼんやりとした温かみのある光がタルタリヤの白い肌を仄かに照らす。我が物顔で鍾離の寝台に横たわるタルタリヤが身に纏っているのは執行官の制服で、赤い仮面はいつも通り側頭部に乗っかっていた。
その仮面をすくいあげて間接照明の下に置き、続いて耳朶から垂れるピアスに手を伸ばす。無言は肯定だ。言いたいこと、が明確にあるわけではないのだが。ピアスを外してやりながら、鍾離はとにかく反応を示すことにした。
「そうか?」
「今日はずっとそうだったよ」
「……そこまでか」
「俺が勝手にそう感じてただけだったのかもしれないけど」
「それは何か言われる余地があるという自白か?」
「さあ? どっちだろうね」
先ほどの宴席では普段通りの会話しかしておらず、旅人からタルタリヤの様子がおかしいと聞いたこと、最近街中で行き会わないこと、タルタリヤが鍾離を避けていること、それら全てに触れずにいた。けれど鍾離の態度から自身の行動が気付かれていることを見抜いているのだろう。
赤い石の垂れ下がるピアスを、キャッチもなくさないようしっかり仮面の横に置いてタルタリヤに向き直れば、彼はその口元に笑みを浮かべながら鍾離の左耳に手を伸ばしてきた。するりと慣れた手つきで鍾離のピアスを外す。外した鍾離のピアスもタルタリヤのそれの隣に置き、タルタリヤは自身の手袋を噛んで引き抜いた。
お互いに手を出して脱がしながら、時折自ら脱いで、どちらも上半身がシャツ一枚になったところでタルタリヤの腕が鍾離の首に回される。ぐい、と抱き寄せる力に逆らわずに距離を詰めれば、鼻が触れ合いそうなほどの近さでタルタリヤが囁いた。
「今日は痕つけていいよ」
服を着ても見える場所には痕を残さないという暗黙の了解があるきりで、それ以外ならさしてタルタリヤは言わなかったし、鍾離も言っていない。だがこの状況でタルタリヤが許可を出したということは、痕に関する初めての明確な意思表示ということになる。
今日はという限定的な許可である以上、おそらくはここ最近のタルタリヤの行動に起因しているのだろう。逡巡し、鍾離は白い首筋に口付けた。
「見えるところにも?」
「見えるところは控えてほしいけど」
「……ふ、そういうものか?」
痕の隠し方というのはいくらかある。初心ではないのだから、タルタリヤも知識程度ならあるはずだ。まあ確かに隠すのは手間ではあるだろうが、暗黙の了解で成り立っていたところにあえて許可を出す以上は、何らかの意図があると考えるのが妥当だ。
執行官であることだけを、分かる者にだけ主張するような仮面。それだけを印にして、様々な服を着て街中を彷徨く男。そこに痕をつけろというのだ。鍾離に、性の痕を残せと。
何を誘おうとしているか知らないが、それで釣れたとしたらろくでもない。この男に誘われたとして、末路は言うまでもないから、口を出してやろうとは微塵も思わなかった。明言しないタルタリヤは目を細めて笑う。
「たまにはこうした方が興奮するだろ?」
「そうか。ではそういうことにしておこう」
完全なる禁止ではないなら構わないだろう。どうしてやろうか、と思いながら首筋に唇を滑らせ、かぷりと左の耳朶を噛んだ。ピアスホールに舌を捻じ込むように舐ぶれば、タルタリヤは珊瑚色の唇を噛んで息を詰まらせる。敏感なことだ。
ちゅ、とわざとらしくリップ音を立て、鍾離は唇を耳の裏に押し当てた。
「ッ……、ひとつめから、見えるとこ?」
「駄目だとは言わなかっただろう」
「ほんっと、揚げ足取るのが上手いね……」
「お褒めに預かり光栄だ」
「褒めてないよ……っふ、う」
シャツ越しに腹筋を撫で、隙だらけのそこから手を侵入させる。声を抑えようとする手を取り寝台に縫いつけて、鍾離は自らの唇を舐めた。
