細々としたものを放り投げてしまっていたことを、翌朝になっても鍾離は覚えていた。それは洗い残した僅かな食器だとか、卓に出したままの酒瓶だとか、そんな程度ではあるけれど。それと、喉を潤す水が必要だろうと。
そんなことを考えて、起き上がった鍾離は簡単に服を身に付けて寝室を後にした。起きてから片付けを、そして水を汲んで寝室に戻るまでの時間はそれほど長くなかったはずだ。冷たい水を持って戻った寝室を――正確には寝台の上を見て、静かに瞬きをする。
確かに誰かが眠っていた形跡は残っていた。乱された掛け布団に、皺の寄っている敷き布。加えて脇机には彼と鍾離のピアスがそのまま残されているし、緋色の仮面もそこに鎮座している。
服の類も、赤いシャツを除いて床に落とされたままだった。水を机に置いた後、それらを集めながら鍾離は辺りを見回す。ここは鍾離の部屋だ。ひと一人、それも鍾離とさほど変わらない身長の彼が隠れてしまえる場所など限られていて、赤いシャツのほかに唯一見つからない彼の装飾品を考えた。
彼の服を畳み、それを寝台の上に載せて、鍾離は行動し始める。
服の大部分を残し、居なくなった彼の行方を捜すというのはそう難しい問題でもなかった。鍾離はすん、と鼻を鳴らす。清らかで、けれど花を浸けた酒から感じる匂いのように、それはどこかふわりと鍾離を誘った。
瞬きをして視界を切り替えれば、きらりと青色が尾を引いて輝く。
「……」
水元素の痕跡を手繰り寄せて歩を進めれば、それは鍾離の部屋の一角にある骨董品たちが並べられている場所だった。棚の中のものではなく、外にあるものというのがなんとなく、一線を違えぬ彼らしい選択だと感じさせる。
骨董品のうち、美しい白磁に色とりどりな釉薬で花を描いた壷に触れる。子どもであろうと、決してひとが隠れられる大きさのものではなかった。仙人の持ち物には中が仙境になっており、入れる壷も存在しているが、これはただの壷だ。そのような術はかかっていない。
璃月の伝統工芸品に多い、岩王帝君を意味する龍の意匠がない壷を選んだというのも、鍾離の微笑を誘う一因だった。岩王帝君を礼賛する意図が一切ない、璃月の職人の作品としては珍しい、けれど一級品だったことを気に入って買ったものである。龍の意匠さえあればもっと価値を付けられていた、と嘆く商人に、それがなくとも芸術として素晴らしい品だと説いたのは鍾離である。
岩王帝君と関係のないものを選ぶ辺りは彼らしい、と思ったが、けれど彼には不似合いだな、とも感じた。
「公子殿」
呼びかければ、壷の中の水元素が僅かに揺らいだ。かたちを変えると動揺が表に出やすくなるのかもしれない。微笑み、鍾離は壷の肌を撫でた。鍾離が手を入れられる程度の大きさの口だが、水では上手く掴めまい。
ならば、彼の方から出てきてもらわねば。
――ああ、けれど。
「蓋をしてしまうぞ」
口にした途端、ずるりと水の塊が壷の口から這い出てきた。それは器用に壷を撫でる鍾離の手を避け、床を伝っていく。元素生物であるスライムよりもずっと水のままの見た目だった。原初、生物というのはもしかすればこのような形をしていたのかもしれない。
水の塊は寝台の前まで移動したところで、そのかたちを変容させていく。滑らかな動きで人型になり、透明から不透明になり、そうして一人の若い男の形を成した。
赤いシャツだけを羽織り、ぺたんと床に座る男は、羞恥心と困惑とを綯い交ぜにした顔で鍾離を見上げている。その片手には水元素の神の目が握られていて、器用な男だと感心した。元素力の扱いの上手さは間違いなく一級品だ。
ああ、けれど、少しばかり惜しい気もする。
蓋をするならば、合う蓋を探すところから始めなければならなかったから、どちらにせよその間に逃げられてしまったのだろうけれど。
まず彼を入れるならば、壷の選定から始めたいところだ。彼に合わせることを考えれば白磁も良いが、やはり青磁だろうか。釉薬で模様を描いたものより凹凸で、水を思わせるような美しい色が良い。
「次回までに公子殿に似合う壺を探しておくか」
「二度とやらないからやめてくれ」
冗談だぞと言えば「先生は冗談が下手なんだよ」と返して、タルタリヤは仕方なさげに笑った。
2021.3.9
